上機嫌のポケット

 私は早くも十五歳にして年の離れた恋人に棄てられ、その尻を母に勝手にぬぐわれ、流謫の境涯を経験した。それ以降、母は私の教育の一切を他人と私の自発に任せた。十八歳のときには、海外流謫という尻拭いのダメ押しがあって、すっかり呆れられ、見捨てられた。しかしそのおかげで、彼女の生涯にわたる出費は極小ですみ、着々と蓄財の人生を歩んだ果てに快適な老後を迎えることができた。彼女の息子たる私は、ある時期プロスポーツ選手の匂いをかいだが、それを大成できなかった。ある時期法律家の匂いをかいだが、それを大成させることはできなかった。ある時期ギャンブラーの匂いをかいだが、それを大成させることはできなかった。さまざまな紆余曲折を経て、年不相応の赤貧に至った私には、もう何も残っていない。おそらく巷間に利する学問も才も多少あったにちがいないが、すべて用いられなかった。あらゆることがグレハマになり、あらゆる計画が見事に食いちがった。自分で築き上げたすべてのものが、自分の上に崩れ落ちてきた。金づちを振り下ろせば指を打ち、女を愛せばそれを自分史ドラマの思い出として持ち逃げされる、etc,etc,何かの幸運の予感に、不幸の津波が襲いかかる……。
 そういうところから私の快活が由来したのである。明るい人だと言われる。それもそのはず、異変が起こることがあらかじめわかっているので、驚くことはまれで、行き詰まったときでも平気に構えているし、運命の意地悪さにも笑いながら、まるで冗談を聞いているように振舞うことができる。私は不幸を身に備えた快活な男である。私の十八番は、何ごとにも成功しないことだ。だから何ごとも笑ってすますことができる。上機嫌のポケットはいつも無尽蔵だ。すぐに幸運は干上がって災いに転じてしまうが、上機嫌のポケットは無尽蔵なのだ。窮境が恐い顔をしてやってきても、私はその古馴染みに親しく会釈する。災厄を親しく遇してやる。不運とよく馴染み、その綽名を呼びかけてやる。
「こんなふうデシテネ(destiny)、いらっしゃい」
 一つの熱狂にまったく捉えられてしまっている頭脳は、実生活の事情に通じることがきわめて遅いものだ。自分の運命が自分に遠いのである。そういう頭脳の緊張からは一種の受動性が生じる。そしてそれに知性が加わると哲学に似通ってくる。衰え、淪落し、流れ歩き、倒れさえしても、自分ではそれにほとんど気づかない。ついに目覚めることもあるけれども、だとしてもずっとのちのことである。私は常に、幸と不幸との賭け事の中で、局外者のように平気でいたのだった。
 これらのことがすべて、のちに文学というイエロー・ブリックロードの同伴者になった。何もかもが、天の配剤であったように思われる。しかも、快活で恬淡としていなければ、その配剤を快く、丹念に調合する根気はつづかない。運命の迫害がいつのまにか、私を言葉の発明家にしていたのだった。そう気づいたとき、私はブリックロードを急がず進むことができた。釣り人のように悠長に、かつ真面目に文学にいそしむことができた。せっせと天の配剤を調合するその精勤の姿を何人かの人びとに見初められ、ちぐはぐで不様な人生記録に愛を注がれるという幸運も得た。偏執、気弱さ、快活さ、すべてそれら個々のものはうまく同居して、そこから愉快な奇人が出来上がり、奇人に共感する人びとにその存在をご馳走として愛されるようになったのである。佳き哉!