いまは亡き祖父母は、かつて意地悪だったことがなかった。二人とも、ただ新聞を読み、草花の名を覚えているきりの、なんら教養を備えていない、一点知力の汚点(しみ)もない完全な白紙だった。彼らは、現在の私のようにその白紙に近づきたいがために、あえて自分の眼に闇を着せて哲学としての無知と淳朴をわが身に強いるような物好きではなく、完全な白紙だった。
 孫である私は彼らに無性にかわいがられた。自分の子供を愛さない親は世にないでもないが、自分の孫を大事にしない祖父母は世に決してない。老人というものは、若者が太陽を必要とするように、愛情を必要とする。出稼ぎに出ている長女から預けられた孫は、彼らの孤独に満ちた善意の生活における慰謝だったはずである。
 彼らはよく互いに罵り合ったが、年ごとに角が取れてきて、時とともに温和になっていった。彼らの内には言い知れない哀愁がこもっていて、自らもその理由を知らなかった。彼らの静かな様子には、まだ始まらないうちにすでに終わってしまった生涯が持つ茫然自失の趣があった。私はそれに惹きつけられた。
 意地悪でないというのはひとつの相対的な善良さであり、弱さである。善良な者同士憎み合ったり和解し合ったりするための寄る辺がなければ、生きていけるものではない。二人の弱い者が世間に善意を期待せず、子供たちにすらそれを期待せず、互いに寄りかかって暮らしているさまは、常に私の心を打った。彼らは、孫である私にも、生存以外の何ものも期待しなかった。
 私は彼らを涙なしで思い出すことはできない。

 東京大学というと、かならず駒場寮を思い出す。私はそこのいちばん端の棟に、理科二類の学生と半年ばかり同居していた。それはかなり大きな建物で、ちょうど北国の馬小屋か大納屋を住宅にしたもののようだった。建物の中には短い腸のような廊下がつづいていて、その左右にいろいろな大きさの部屋らしいものがあったが、それもようやく住まえるだけのもので、部屋というよりむしろ物置といった形だった。それらの部屋は周囲の空地に面していた。そしてどれもみな薄暗く、陰鬱で、墓場のようだった。よく閉まらない扉も多く、そこから細い光線が忍び出たり、寒風が吹き込んできたりした。廊下の果てに黒い一対の呼び出し電話があり、それが冷たい声のオペレーターと繋がっていた。空地には、通りがかりの学生が投げこんでいった空缶やビニール袋がところ狭しと散乱していた。その塵芥の中を、どこから紛れ込んだのか、茶色い鶏が嘴を上下させながら歩き回っていることもあった。
 駒場寮の内部に棲む学生たちは、日がなテレビを観たり、漫画を読んだり、麻雀を打ったりして暮らしていた。彼らはその合間に少しばかり勉強し、しっかり教場試験に出て行き、しかも徒党を組まなかった。友情や尊敬の心組みを持たない彼らは、当然、偉大なものに対する感情を持たず、嘲笑すべきものに対する感情も持たなかった。彼らはあまりに早期の成功に何の欠乏も感じなかったので、その自堕落な静観がついに怠惰の一形式に終わるということに気づかなかった。人生の最初の必要に打ち克ったのみで満足したことに、そしてあまりに早く休息したことに気づかなかった。
 私はこの場所に人間の集落としての粗雑さを感じ、数ヶ月で早々と逃げ出した。と同時に大学も逃げ出した。粗雑な集落から緻密な思考や学問を実践する人物は生産されないだろう。いまだかつて私はその場所で暮らしおおせた人物の中に、俊秀の名を仄聞しない。

 芸能界には、若さがなくなるにしたがってますます元気になる輩が何人かいる。老顔のたるみは洒落で補い、哲学の欠如は快活さで、才能の不足は皮肉で補う。そして歪んだ顔に付着しているだけの目は涙を滲ませ、たえず笑っている。人は自分のこしらえた哲学の上に寝るものだが、寝床がないので寝不足なのだ。
 彼らのからだ全体は崩れているが、なお花を咲かせている。彼らの青春は年齢よりも早く逃げだしてしまったのに、うまく笑い崩れながら退却の太鼓を鳴らしたおかげで、人の目には精気としか映らない。彼らは成功して性質がやわらぎ、ときどき絵を描いたり本を書いたりするし、そのうえ、何ごとにも頭から疑いを抱いているので、弱い人たちの目にはそれが強大な機知の力に見える。つまり皮肉家で、顔もたるみ歪んでいるが、同様の人たちのあいだで謙遜らしい老いの年功序列をうまく利用しているゆえに、相変わらず皆の上に立っているのである。

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