本心の底

 詭弁に寄りかかり、本心を曲げ、あるいは本心に打ち倒されながら、闘いのうちに立ち直ったことも幾たびだっただろう。曖昧な理屈を立てたあとや、自分かわいさから一見理屈に合った狡猾な論法を用いたあとに、憤った本心から「ずるいやつ、惨めなやつ」と耳にささやかれるのを聞いたことも幾たびだっただろう。頑迷な私の思想が、人間として明らかな義務のもとに痙攣的なうめきを発したことも、幾たびだっただろう。
 本心の底など見えはしない。いったい私の本心とは何であり、何ともわからないものの底に何があったというのだろう。