去る者は闇のほうへ向き、くる者は光明のほうへ向いている。それは老いた者にとっては宿命であり、若い者にとっては意識下の天然である。そこに乖離が生じて、最初は感じがたいほどのものだが、やがて木の枝が分かれるようにしだいに大きくなる。枝は幹についたまま遠ざかってゆく。それは枝の罪ではない。青春は喜びのあるほうへ、にぎわいのほうへ、強い光のほうへ、愛のほうへ、進んでゆく。老いは終焉のほうへ進んでゆく。両者は互いに姿を見失いはしないが、もはや抱擁はしなくなる。

 ある日、高校一年生のころだったか、私はふと自分の顔を鏡の中に映して見て、自ら言った。
「ほう……」
 どうやら自分が美しく思えた。それは私を妙な不安に陥れた。そのときまで私は、自分の顔のことなど考えてもみなかった。鏡を覗いたことはあったけれども、よく細部を窺おうとはしなかった。しばしば、人から醜いと言われていたからでもある。一人、寺田康男だけはよく、
「ええ男やな」
 と言ってくれた。それで、とにかく私は自分を醜いものと常に信じ、少年のさっぱりとしたあきらめを持って、そういう考えのうちに成長した。ところが突然、鏡は寺田康男と同じく私に言った。
「ほう、いい男だ」
 翌日あらためて、私はわざわざ自分の長所の一つ一つを意識してその顔を鏡に映して見た。私は言った。
「きのうはどうしてあんなふうに思ったのか。やっぱり俺は不器量じゃないか」
 片チンバの目は突き出し、あごは角張っていた。きのう自分が美しいことを発見してもそれほどうれしくなかったが、いまはそう信じることができないのを淋しく感じた。私はそれから長いあいだ鏡を見なかった。
 高校三年の秋、いつも下校の道を同じにしているクラスメイトから、
「美男子だな、うらやましいわ」
 と言われた。何と応えていいかわからなかった。自分の部屋に戻り、二年の余りも覗かなかった鏡を見た。そして息を呑んだ。私は眩惑した。私は美しかった。片チンバだった目はいつの間にか大きな二重にえぐれてバランスよく見張り、あごは鋭角が削れてほどよい丸みに覆われていた。皮膚は透き通るように白く、髪にはつやが出て、これまで知らなかった強い光が黒い瞳に宿っていた。母の若いころの美しい写真を思い出した。自分は美しいのだという確信が、初夏の空の白い雲のようにたちまち湧いてきた。しかし、名状しがたい喜びに浸ったのはその一瞬のあいだだけだった。なぜだろう、私は深い漠然とした心の痛みを感じた。
 以来、私は自分の美に対して気持ちを煩わせることがまったくなくなり、他人の顔の美に対しても無頓着になった。サナギが蝶に脱皮する事変に月並みの必然を認め、偶然に輝きわたる意外な光輝に重い価値を置くようになったのにちがいなかった。軽佻な精神に向かって微笑みかける曙の一瞬をすごした経験は、私にとって長く悲しみの種になった。

 自らの長所を知ったとたんに、それを知らないときの優美さを失ってしまう。自分の長所を知らない優美さは格別のものだ。なぜなら、無邪気のために光を添えられる美点は言葉に尽くしがたいもので、自らの美点を知らずに闊歩する無心ほど、この世に敬慕すべきものはないからだ。

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     ・・・・・・・・・・
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