荒涼

 いまや各界の桧舞台に立ってはなばなしく活躍していたり、そこそこの貢献をしていたりする人びとの名が、活字となってそこかしこに見出されるにつけ、社会に翻弄される彼らへの軽侮の念が私の胸底に押し寄せる。私の両目から涙がこぼれ落ちる。この涙は何のためだろう。涙によって彼らの痛ましい心の傷に同情しようとするのだろうか。自分の中に作り上げようとした高尚な自我を、確立できなかった彼らに―。
 幼いころから挫折と戦う経験が身に余って多すぎたため、もろもろの障害を乗り越えていくための強い誇りが擦り切れ、ゆたかに蓄積されてきた感情もなまった金属のようにもろくなってしまって、自我の仕上げがきかなかった―そんなことだろうか。裏切られる経験が身に余って多すぎたため、あまりにも早く人間への愛を失ってしまった! そんなことだろうか。
 いまはもはや彼らには、いつも動揺しながら安定を欠いている弱い意志を叱咤激励してくれる友はいない。延々とたしなんできた恥ずべき怠惰と、無分別な行為から抜け出る術を彼らは知らない。彼らはかつても、いまも、何の契機もなくひたすら怠惰でありつづける! それが結論なのだ。その荒涼として虚しい人びとへの同情を抱きながらペンを持って机に向かうたび、表現しがたい新しい感情が私の中に沸き立つ。彼らは地上を影か亡霊のように通り過ぎたのではなく、実際に生き、存在したのだ。そう思うとき、机の上で、退屈な私の人生がつかのまに輝く。

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