偏見だの、人生のさまざまな醜さや汚さが必要なのは、時の流れとともにそれらが、ちょうど堆肥が黒土に変わるように、何か役に立つものに変わってゆくからだ。この地上には、源泉に醜悪さを持たないような立派なものは、何一つ存在しない。
―チェホフ『六号室』

 金のある人もない人も、日々新しい欲求を鼓吹するために送りつけられる各種のコマーシャルに血眼になっているので、ありとあらゆる新しい享楽をめざしてとめどない渇望を抱く。ソーラーハウス、マイカー、家具調度、電化製品、PC機器、温泉、海外旅行、食い歩き……。自分を刺激の無限の受容体と見なす錯誤(進歩という錯誤)から解放される日は、人間という生き物には永遠に訪れない。

 私は毎年、二十歳前後の若者の相手をする。初対面のときの彼らは、ほとんど無感動(ニルアドミラリ)の病に冒されている。まったく表情がない。彼らの罹っているのは、ほかならぬ〈精神的冬眠〉というやつだろう。彼らは寝入っているだけなのだ。それも、飽満とか疲労から寝入っているのではなく、毎日の生活に生々しい印象や感動が足りないことから眠りこんでいる。
 必然、私の授業は第一回目から、強い印象や感動という神酒(ネクター)を与える過激なものとなる。そのためには日々の授業自体を、瑣末知識の徹底的暗記を強い、しかもその知識を駆使して英文の内容を深く抉り出すような綿密で高度のものとするのはもとより、英文解説の中に毒のある社会批判や人間批判を交えることでギョッとさせ、彼らが秘蔵しているにちがいない情緒の覚醒を促すために、彼らそのものの顔のない在りようを否定して、磨りガラスみたいに曇ってしまった感覚やプライドを傷つけることさえいとわない。
 自分をダイアと偽り、覚醒をよしとしない学生は、早々と去っていく。他講師との授業方針のズレを口実に去っていく者もある。私はおためごかしが嫌いなので、彼らを追うことはしない。教室は風通しがよくなる。しかし、精神が生き生きと蘇り、少年時代の表情を取り戻し、好奇心と知識欲に満ちはじめた学生たちが残っている。講義が充実の度を加えていく。私は好きなことをしゃべりながら、一年間突っ走るだけになる。夏が近づき、今年もその態勢になった。来年の成果が、現実のものとして見えてきた。

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1  笑い疲れているが、あしたも笑うであろうということ。
     ・・・・・・・・・・
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―竹内銃一郎(劇作家)―

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