《受験生へ》

JUGEMテーマ:読書
 

なぜ受かりたいのかを考える前に(受かりたいのはひたすら自分の将来にかかわる功利的なものでしょう。そんなものはあたりまえすぎて面白くありません)、合格による一瞬の自己達成をイメージしなさい。それをイメージすると、付属的なものとして、きみの達成を喜ぶ人たちや、プラス・マイナス両方の意味で驚く人たちの顔が浮かびます。その人たちのために受験するのです。合格は自分のためにあるというのは順当な解釈でしょうが、じつはきみを長く信頼してきた人を喜ばせ、きみの力を憂慮していた人や軽侮していた人を驚かすためにあるのです。

合格という一瞬の自己達成は、きみの将来の達成を保証しません。その一瞬に喜び、驚く人たちの感動を保証するのみです。考えれば空しいものです。その空しいもののためにきみは死にもの狂いで勉強してきました。この他人のための一瞬の達成が終われば、その先にけっして空しくない自分のための学生生活と、希望と、意義ある欲望と、充実した試練が待っています。

いや、その希望や試練を経験することが本道なら、そこへ踏み出すのに受験を契機にする必要はないかもしれない。十二歳でも、十六歳でも、五十歳でも、本道に踏み出すことができます。つまり、大学受験はいつでも待ち構えている本道へ踏み出す時間を遅らせるお祭りなのです。それは毎年季節ごとに巡ってくるものです。それなら、何度でも一瞬の達成にトライしてもよいし、しなくてもよいという理屈になります。

だから、不合格を恐れないでください。他人のために祭りのミコシを担いでください。担ぐための肩はできているはずです。担ぎきれなかったら退避して、もう一度肩を鍛え直してください。担ぐのに嫌気が差したら、すぐさま本道に踏み出してください。

 

1