若木

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若木の下で笠をぬげ。後生、畏るべし。若い人は将来どんな有為の人物になるかわからない。いまの姿で将来を計るわけにはいかない。その未来性を尊重し、笠を取って敬意を表さなければならない。この気持ちが胸をかすめることがなければ、私は予備校講師という仕事をつづけることはできなかった。

しかし、最近この気持ちが胸をかすめなくなった。畏れるほどの精励刻苦の人を見かけることが稀有になったからだ。知性の熟成をきらい、即効性の周辺的な技巧に飛びつき、知識の有用性だけを問い、知的なプリテンション、あるいはそれにまみれた年長者を愛し、若者に特有の「情熱の中に死ぬ気」を捨てている連中が圧倒的多数になった。到底、将来大人物になる見込みを予見させない。さらに、態度といい、物言いといい、無礼で、最低限の礼儀を黙殺してわざとらしく笑っている。つまり、人としての謙虚さを欠いているので、柔らかそうな物腰の陰に傍若無人の本質を隠している。私は彼らに畏れではなく、恐れに近い感情を抱く。

こまったことに、こういった若者にそっくりの教育者が支持を受け、幅を利かせている。かつては若者があえて相手をしなかったような教育者たちだ。その性格のゆえに大人物になれなかった「先生」に、若者たちはあこがれる。類は友であるような師弟関係に生産性はない。彼ら雨後のたけのこのような教育者は、すべての教育の基礎は自国語に関する知識にあるということを知らない。魂の深奥からの叫びや、崇高な人間生活の思想精神は、その魂がふるさととする生来の言語によってのみ伝えられ、あるいは理解されるのであって、借り物として学んだ他国語はまったくそれに適さないということを知らない。したがって自国語による表現を軽視し、それにこだわる教授法を嘲笑する。

私はいま、この場を去るべきかどうか、思案している。去るというよりは、自分の日本語の机へ逃げようかと思案している。たしかに、いつの世にも例外的な学徒が一握り存在する。彼らを見守りたい。しかし、彼らは私などの薫陶を受けなくとも、ひそかに鍛えた孤高の翼と、上空から俯瞰する慧眼を持っている。手を貸さなくても、それらを駆使して、ものごとや人物の真贋を見抜いておのずと空高く羽ばたくにちがいない。

私は常に不要な存在だったことを痛感する。用いられざれば去る、の日が、刻々と近づいているようだ。

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