情熱家

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小学校以来、半世紀のあまり、情熱家であるということが私の通念になってきたので、そうありたくないと思うときでさえ、自分を知っている人びとの期待を欺かないように、情熱家を装わなければならなかった。そして私はこの欠点を直すことを望みもしなかったし、できもしなかったし、その必要を認めもしなかった。

なぜなら私は面倒なことに対して病的に短気で、面倒を避けること以外に対しては無欲な人間だったからである。生来、私に備わっていなかったのは上昇しようとする情熱であり、争おうとする情熱であり、愛されようとする情熱だった。私は幼いころから、ただこの世にいて、じっと観察していることを望む凡夫だった。したがってその種の情熱の獲得は非常に難しく、ついに学齢期以前には成し遂げられなかった。

しかし、教育体制の中で生きるようしつらえられ、向上欲に満ちたすぐれた集団の中へ放りこまれたとき、自分だけの知る欺瞞としておのずと情熱家を振舞うようになった。すぐれた人たちの中でしか生きられないと悟ったときに、その姿勢は決まったのである。それは私の生涯で最大の欺瞞だったけれども、その欺瞞を終生押し通そうと決意せざるを得なかった。すべて短気を発して狂気にならないためである。それを抑えるために、よく勉学をし、スポーツをし、発言をした。

けだし優秀な人間は情熱を好む。彼らにとってそれが命のすべてだからだ。彼らに逆らうことは面倒くさい。面倒くさいことを吹っかけられて、心の静謐が乱されると、病的な短気を生じる。それは尋常な短気ではなく、彼らを恐怖に陥れるほどのものである。もし情熱家の欺瞞を通していなかったったら、私は犯罪者になっていただろう。習いは変じて性となる。老境に至って、ひょっとしたら自分は生まれながらの情熱家ではなかったかと思う瞬間がある。自分も優秀な人間ではなかったのかと

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