二十二歳

JUGEMテーマ:読書
 

二十二歳の冬、同棲していた女が、満面の笑みを浮かべて、「いってきます」と玄関を出たきり戻らなかった。彼女は九時五時で池袋の縫製所に勤めていた。私は大学にも出ずに、机にいて、終日読書したり、詩を書いたりしていた。ヒモである。その二日後に、いずれ作品の一部にしようと思って冷静に書いた断片が残っている。だれでも青春の盛りに経験する悲しみとして他意なく紹介するのではなく、自分の冷酷さを嗤(わら)ってもらうためにここに書き写す。

『彼女はいっこうに戻ってこない。宵のうちが過ぎてもまだ帰らない。心の中に二つの感情がかわるがわる現れる。私を苦しめていることに対する憎しみと、彼女がこのまま戻らず自殺か何かやりはしないかという恐怖とである。迎えにいきたい気持ちになるが、勤め先の住所も実家の住所も正確に知らないので、動くに動けない。新宿の親のところか? 伊豆の親戚か? いずれにせよ、私に殴られたことを告げにいったのだ。勝手に家族親族で嘆き合えばいい。あわてふためいて捜し歩きなどしたら、彼女の思う壺だ。女の思う壺にはまるなど愚の骨頂だ。しかし、親族のところではなく、街で行きずりの男とヤケなことをしでかしていたりしたら、どう対処しようか。女のからだは汚れきっているものとむかしから決まっているが、その腐った心根には対処のしようがない。十一時、十二時、そろそろ一時になる。何もしないで寝て待つなど愚かな話だ。読みさした本はないか、練っていた詩案はないか。思いつかない。原稿用紙を用意する。机に向かっても腹が立つばかりだ。外の物音に耳を澄ます。高架のひゅんひゅんと鳴る音しか聞こえない。三時、四時。女はいっこうに戻ってこない。蒲団に入る。明け方、とろとろして目を覚ます。女の姿はない』

ここには、女に対する愛情の欠けらもない。私の不毛の季節だ。二十年後、私はこの冷酷な男を殺す『風と喧噪』という小説を書いた。こういう人間が形成されるにはゆえがある。私は中学三年のとき、六歳年上の愛する女に裏切られ、青森へ島流しされた。それは人生でいちばんの痛手だったが、その反動から、静かで心やさしい人間性に見切りをつけ、怜悧で、暗い、しかも表面に情熱を滲み出させる人間を振舞うようになった(心の底には女に対する普遍的な憎しみを隠していた)。高校三年のとき、ふたたび五歳年上の女に裏切られた。暴力が原因だった。その後も、女という生きものに対して延々と苛立ちつづけ、ことあるごとに暴力をふるった。当然のこと、すべての女に去られた。私はますます暴力の子になっていった。上記の女が、同棲という形をとった三人目の女である。彼女は私の定義した浮薄な女の形にぴたりとはまったので、いよいよ総決算のような暴力をふるった。

あるとき突然静かな人間に戻った。女との角逐を主とする人生の疲労が頂点に達し、彼女たちの人格に関心が薄くなるにつれ、男との友情が光輝を増した。怜悧さと暗さを韜晦する必要のない、創造の日々を彼らは温かく応援した。友情と詩と小説の日々。意外なことに女はといえば、怒りを顕(あらわ)さない男にやさしく近寄ってくるようになり、接近はこれまでとちがって愛情の永続性を意味していた。女という生きものは、自分にそれほど関心を注いでくれなくとも、何らかの種類の没我を蔵していると認めれば、その男を好むのだと知った。彼女たちはこれまで秘めていた人格を全開放し、陰陽のうち、陽が目立ちはじめた。人生をかけるに値する対象となり、私の中に初めて自己犠牲的な愛が芽生えた。目覚しい内部革命だった。疲労からの無関心が、真の関心を生んだ。それは創作に影響を与えた。嵐の季節が長かったので、虚心坦懐に書き染める出発が遅れたが、表層的でない作品を生涯にわたって書きつづける体力と気力を獲得することができた。嵐に吹きさらされることで人間に対する疲労と恐怖は増したが、感性と生動性は研ぎ澄まされた。ただ平安でない日々は権力を忘れさせるので、そこへ近づく方途を失った。しかしそれも、創造にとっては天与の恵みであったろう。

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