流行

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新しい、人目をひく流行は、はた目にはどんなに滑稽でも、平凡な若者のあいだに広まる力をどこかに持っている。何といっても平凡な若者たちは、自分自身についても世の中についても、まだ、じっくり考えたことがないからだ。彼らの模範となるような、流行の先端をいく人間たちは、ぶざまにふるまい、粗野な笑い声をあげ、くだらないおしゃべりをし、だれにでも平気で無礼な受け答えをする。ところがそういう人間たちは、非難されるどころか、ちやほやされ、才気に満ちているとさえ思われている。それを見た平凡な若者たちは考える。

「あんなふうに、ちょっとしゃれたお調子者になるのは簡単だ」

 それまでの彼らは、相応の才能もあり、怠けたりしなかった。それがこう考えるようになった。

「知識が何の役に立つんだ? 何も知らないやつがうまくやってるじゃないか」

 彼らは本をほうり出し、仲間を求めて繁華街をうろつき回る。それまでの彼らは、平凡であるがゆえに、だれに対しても親切で礼儀正しく、声をかけられるまでじっと待ち、行儀よく慎ましく受け答えしたものだった。それがいまでは、風雪に耐えてきた平凡ではない大人と平気で肩を並べておしゃべりはする、自分の意見は述べ立てる、というありさまだ。飛び抜けた思想にたけた人びとをさえ、くだらないことを言っていると鼻先であざ笑い、自分たちのほうが何でもずっとよく知っているのだ、と言い張る始末だ。

 彼らは、もとは、平凡な人間の直観から、粗野な卑しい人間を嫌っていた。それがいまでは、ありとあらゆるくだらない歌にうつつを抜かし、イヤホーンをした携帯コンピューターを指で撫で回し、お化け靴を履き、つまらないものしか入っていないリュックを背負って街路をうろつき回る。そうして、友だちなど少しもほしくないくせに、メールとやらを打ちまくって、これで一人前になったと信じる。こうすれば、ほかでもない、あの有名人たちのように見えるからだ。自分の家でも、よそを訪問しても、彼らはいぎたなく寝そべったり、正式な集まりの席でからだを揺すったり、両手で頬杖をついたりする。いまではそういうのがきわめて魅力的だとされているのだ。見苦しい、愚かしいと、どれほど口をすっぱくしても無駄だ。あのすばらしい有名人たちがそうやっているじゃないか、というわけだ。

 粗野にふるまう有名人は、無自覚な人間どもを相手に粗野にふるまうことを商売にしている人びとだからこそ許されるのだ、許してやらなければならないのだ、と言ってみても、理解力のない彼らに聞く耳はない。自分たちもあの人たちと同じように、行儀などかまわずにふるまう権利があるのだと言い返す。とにかく悲しいことに、メディア好みの有名人のせいで、これまでの平凡な若者たちのよい習慣が、めちゃくちゃになってしまった。しかし、彼らが粗野で気ままなふるまいを楽しんでいられるのは、そう長い時間ではない。どんな平凡な人間にも訪れる理解と成熟が〈恥じらい〉や〈絶望〉という事件を知らせると、とつぜんすべてがさびしく落ち着いた色合いに変わる。

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