2015.04.27 Monday
苦悩に満ちていない人生に、何ほどの美があるだろう
芸術がなかったら、自分の人生はどうなっていただろうと思うと、背筋に寒気がよぎる。とりわけ、音楽(作曲・声)、文章芸術の二つ。
映画は私の中で芸術の範疇に属さない。おそらく、美の達成を願うにしては、個人技に徹していないからかもしれない。大勢の人間が寄ってたかって創りあげるという構造のせいで、どうしても方法論に傾きすぎるきらいがあるからだ。その意味で、建築も同様である。個人技であっても、絵画、彫刻、焼物、手芸、料理、楽器演奏等も芸術とは思えない。その理由は、私自身の感覚に依拠しているので、説明できない。
音楽と文章芸術が私の人生にまだ忍び寄ってきていなかったころ、そのころの喜びを思い出す。それは野球だった。集団の中で、個人の技芸の卓越が尊重されたから。しかも、孤独ではなかった。喧騒にひたされ、野球をしながら死んでいきたいと思った。しかし、目のまわるほどのいろいろな事情のせいで、喜ばしき野球から切り離された。未練はなかった。自分の愛するものは喜ばしくない孤独であると気づいたから。
苦しみに満ちた孤独な営為―美の達成はそれ以外の方法では望めない。日々苦悩に満ちていない人生に、何ほどの美があるだろうか。私は人間の苦悩以外に関心がない。野球に没頭していた日々にも、私はときおり外野の守備位置から空を見上げ、
「こんな楽しいことをしていていいのだろうか。これは人間らしい生活ではない。こんなことをしていては、人間を表現できない」
と感じたものだった。