芸術がなかったら、自分の人生はどうなっていただろうと思うと、背筋に寒気がよぎる。とりわけ、音楽(作曲・声)、文章芸術の二つ。

映画は私の中で芸術の範疇に属さない。おそらく、美の達成を願うにしては、個人技に徹していないからかもしれない。大勢の人間が寄ってたかって創りあげるという構造のせいで、どうしても方法論に傾きすぎるきらいがあるからだ。その意味で、建築も同様である。個人技であっても、絵画、彫刻、焼物、手芸、料理、楽器演奏等も芸術とは思えない。その理由は、私自身の感覚に依拠しているので、説明できない。

 音楽と文章芸術が私の人生にまだ忍び寄ってきていなかったころ、そのころの喜びを思い出す。それは野球だった。集団の中で、個人の技芸の卓越が尊重されたから。しかも、孤独ではなかった。喧騒にひたされ、野球をしながら死んでいきたいと思った。しかし、目のまわるほどのいろいろな事情のせいで、喜ばしき野球から切り離された。未練はなかった。自分の愛するものは喜ばしくない孤独であると気づいたから。

 苦しみに満ちた孤独な営為美の達成はそれ以外の方法では望めない。日々苦悩に満ちていない人生に、何ほどの美があるだろうか。私は人間の苦悩以外に関心がない。野球に没頭していた日々にも、私はときおり外野の守備位置から空を見上げ、

「こんな楽しいことをしていていいのだろうか。これは人間らしい生活ではない。こんなことをしていては、人間を表現できない」

 と感じたものだった。

最新インタビュー 川田拓矢語録 「お金がものを言う時代について」 2015.4

 

 私は、膠原病性エリトマトーデスという持病を抱えている。発汗、圧迫、擦過、虫刺され、紫外線等が刺激になって、皮膚が勝手に防御反応を起こして白い鱗状の膜を作ってしまう病気である。乾癬も同様の症状をきたすが、皮膚だけの疾患で膠原病ではない。

膠原病のせいで、すでに私は味覚と嗅覚を失っている。それは外から人目につくものではないので黙っていればすむが、エリトマはそうはいかない。人に不快感を与える。昨年は鼻の先のエリトマで学生たちの目を惹いた。全治はしないものの、幸い現在は、風呂上り以外はあまり目立たなくなった。今年は、瞼に出た。紫外線のせいだ。苦しい一年の始まりだ。マスクをし、サングラスをして歩かなければならない。背中や腹のエリトマは、服を着ればだれにも気づかれないが、顔は難物だ。顔に出ないようにと長年祈ってきたが、イン・ベイン。

神よ、Sさんの撮影に支障をきたさない程度に病状をとどめたい。どうかこの願いを叶えてほしい。泣いても叫んでも、フランケンシュタインの言葉に信憑性はないから。

最新インタビュー 川田拓矢語録 「活字文化について」 2015.4
https://youtu.be/UO4n4MLS04g




 

 Sさんという、もと読売新聞社に勤めていて、いまは個人経営の広告代理店をやっている人が、月にいっぺん神奈川県の真鶴から、仕事の合間を縫ってせっせと埼玉県の伊奈まで通ってきて、私のビデオ撮りをしている。私の暦日の思索をほじくり出し、映像に収めたものをインターネットにアップするためだ。私の本が一冊でも売れて、世に広まることを願ってのうえである。

彼は『牛巻坂』を読んで以来、私の作品群を正真正銘の一級品と認めている。だからこの一連の仕事は、私に対する無料奉仕である。おまけに彼は、伊奈訪問に際して土産まで携えてくる。なかなか、いや決してできることではない。

 以前に一度書いたが、Sさんは私を読売オンラインの編集者に紹介して、十二回におよぶ映画評を書かせてくれた人である。それは、人のあまり知らないものは紹介しないという作法を怠り、しかも映画好きを目当てにした感情移入の激しいものだったので、一年で打ち切りになり、彼の顔をつぶした。

Sさんは現在40歳、早稲田予備校および早稲田大学文学部出身者である。教養人であるのに、私の無教養などいっさい歯牙にもかけず、思索の核だけを抉り出そうとする。そうして心から感嘆し、大満足で引き上げていく。私は常に神々しいものを見る目で彼の背中を見送る。

 Sさんの弟も、私の『あれあ寂たえ』はじめ諸々の作品の愛読者である。二度ほど酒を介してSさん同伴で会ったが、兄と同様深い思索をする明るい人物だった。渾身の力で、経営の苦しい兄の会社を手伝っている。彼はかつて引きこもっていた苦悩に満ちた時期に、『あれあ寂たえ』によって救われたと言った。私の作品が人を救ったという唯一無二の伝聞である。

 Sさんは、15年余りにわたって、常に私を忘れず、私財をなげうって私を支援しつづけている。このような奇跡がなぜ起こりうるのか、と私はいつも考える。そうして、Sさんの中にみずから信じる絶対価値があり、それが私の作品の中にしまいこまれた価値観と正確に一致するからだろうと推測するにいたる。おおよそ一致するのではなく、ぴったり一致するのである。

 これまたなぜだろうと考える。『全き詩集』を詩の世界社から上梓したころ、私は26歳だったが、私つきの編集者に促されて有名人のたむろする酒場を連れ歩かれた。あるバーで、当時勢いのあった大御所の女流作家に、

「資料もなしに、自分の頭だけでものを書いてると、世間に受け入れられないわよ。思想の井戸なんていずれ涸れるんだから」

 と叱咤された。

「少なくとも、自分でものを考えたほうが、物真似でないという確信がもてますよ。貴方の作品は、福永武彦の

 と言いかけて、私はその編集者に表に連れ出された。

「だめですよ、ビッグになりたければ、ああいうことを言っちゃ」

 それ以降、私は文学者という人びとに会っていない。作品は常に自分の頭だけでこしらえてきた。だからこそ、Sさんや彼の弟と価値観が一致したのだ、涸らさずに湧出させつづけた混淆物でない思索が彼らのものと一致したのだそれが私の結論だった。彼らの支援を無にしない方途は一つしかない。思索の泉を涸らさないことである。

もう一つの結論がある。自分の頭脳だけで考えたものは、あまりに独自なものになり、権威の裏打ちもないので、まちがいなくビッグになれないということだ。しかしそれも、Sさんは歯牙にかけていない。自分を感動させるものを価値とし、人に知らしめようとする。ここまでくると、Sさんは私と心中することを願っているのだとわかる。

私も喜んで彼と心中しようと思う。

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