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JUGEMテーマ:読書

 
 SさんがYouTubeにアップしてくれた近思(きんし)めいたものを、一部の人たちが楽しんでくれているようだ。どれもこれも、ものも知らないくせによく語るよ、といったたぐいの放言だけれども、ものを知らないだけに話が杓子定規に流れず、しかも自分の頭で考えて吐露する真率な意見なので、数少ない人びとの胸に訴えるものがあるらしい。

 いずれにせよ、幼いころから、学校という集団で、低能とか、不良とか言われて、ろくにものをしゃべらせてもらえなかった私が、Sさんのおかげで大勢の人びとに頭蓋の中身をさらけ出す機会を得ることができた。中身と言ってもちっとも自慢できるものではなく、無手勝流で、資料的な信憑性は皆無だし、ほとんどの見解が情操に傾く。低能で、不良であるゆえんである。

がんらい私は知識や教養が徹底して欠けているせいで、目で見、耳で聞き、頭で考えたことしか語れない。それはたぶん、知識・教養に満ちた人にとっては、かえっておもしろい見もの、聞きものだろう。笑い、呆れ、軽蔑し、自信を深めることができる。しかし彼らは他人の知識を応用する力はあっても、自分の頭でものを考える力がないので、永遠に私の恐怖の対象とならない。私は自分の同類に向けて呼びかける。何も知らない、低能で、不良な人びとである。私の愛する―彼ら―である。

調子に乗って、音楽の思い出も、映画の思い出も、すでに語りだしている。幸いイベントに満たされた人生だったせいで、頭の中は思い出の宝庫だ。語りつづければ、それはだれかの思い出にかならず重なる。人は思い出で慰められる。思い出をなくしたら、人生は空っぽなのだ。

 音楽で、映画で、放言で、人生の密度を高める。語っているあいだの私はもちろん、聞いている彼らも、好尚が一致するかぎり、常に充実していられる。人生の間充質である過去の思い出に因循(いんじゅん)するのは、未来を眺めて生きる人びとにとっては最大の愚行なので、人生の骨組みだけを重視する知性豊かな人間にはけっしてできない。