四月に入学して、その月の末に中退届の草案をノートに書いた。それを抽斗の奥にしまい、退学の時機を先延ばしにして、五月のひと月間、週に一度の割合で大学にいった。のんびりやるかという気持ちになったのは、学費が免除されたからだった。この間に行なわれた行事は、山中湖へのバス旅行と、五月祭だけだった。五月祭の人混みの中で財布をすられた。 

 六月一日、私は学生課に除籍願いの用紙を受け取りに出向き、夜を徹して草案を推敲し、退学理由の欄に長い文章を書いた。

 

 

《中退届》

 

 私たちはそれぞれ特有の嗜好を持ち、それに対して強い思慕を示す。財物、労働、学問、技能、思想、創造等、嗜好の種類はさまざまである。そうした物質的あるいは精神的な嗜好に精力を傾ける日常をたとえて、弛(たゆ)まぬ登坂そのものであると言ってさしつかえないだろう。そればかりではない。労苦を趣味として生きているのでないかぎり、その登坂に精神的苦痛が生じることがふつうである。みずからの嗜好に、できるなら社会的価値を賦与し、日々の糧を得る手段として役立てたいと願うからである。

 社会的価値を有する職業に専従することと、その選良性のゆえに社会生活の場が一般から離れるという現象が重複して生じる場合も含めて、そこに至るためには、私たちは好むと好まざるとに関らず、目標の障害となる他者を押しのける行動をとらなければならない。  

 障害となる他者を、ある時点において、どの程度の割合で押しのけられたかを手っ取り早く確認するために、複数の登竜門が設定されている。喜ばしい価値観の達成を、段階的に肉眼に捕らえるための道しるべと言っていいだろう。危ぶむべきは、一定の登竜門をつつがなく通過し、自分の価値観に添った目標の追求を継続する資格を獲得したという段階的な勝利のみのせいで、舞い上がり、最終的な目標を忘れてしまうという愚昧である。つまり、中途段階での成功度の確認にすぎないものを過大評価し、こと足れりとして、人生を終了させてしまうという童蒙的楽観である。

 登竜門をくぐるまでの道のりには、芸術美の完成といったような、個人的憧憬を追求する時間幅を区切らない努力とはちがって、見事なまでの定型の日常と、時間を設定された形どおりの苦役が準備されている。わけても、《不言実行》という古くから尊重されてきた言挙(ことあ)げの禁忌(きんき)、すなわち挫折隠蔽の思想はこれをよく象徴する。この、まめやかな怯懦とも言うべき自己抑圧は、抑圧される個人の絶対数が圧倒的多数を占める社会において、陰湿な競合意識と化す。つまり、まったき価値である競合の果実ではなく、途上の形式的苦役にすぎない競合そのものにおける挫折の有無に関心が転移し、価値の達成度の段階的な統計どりであるにすぎない登竜門通過、ひいては登竜門そのものにスポットライトが当てられるという、筋の通らない習慣の定着である。

 競争社会という命名からして、作為に満ちている。社会組織そのものが細分化された競合で成り立っている以上、社会にあらためて競争という冠詞をつける意識の根底には、かならずその作為によってなんらかの利益を得る人びとの戦略がひそんでいる。言挙げの禁忌を礎にする競争のもとに、人生の最終目的をおおらかに宣言する自己解放を恥とし、健康な努力を後ろめたいものとする―そこにはまぎれもなく不健康な《成功の概念》、すなわち、登竜門の過大評価を打ち出す営利団体が介在している。目的に至る途上の石くれに躓いたにすぎない事実を凶兆とし、それまでの積極的で永続的な努力の成果を、石くれのために存在したものと錯誤させるのである。こんな躓きは何ほどのものでもない、石くれごときと侮っても、驕慢な大言壮語と断じられるのである。

 ために、人は極度に緊張して、競合の途上にある自己を、石くれに躓かぬようひそかに保恵しようと努める。石くれごときに対して、謙譲をふるまい、挫折をふるまい、絶望をふるまうことさえある。つまり、「競争社会における自己抑圧の成果がいかに卑小であるか」という、正しく醒めた認識を打ち出さずに、謙譲や挫折や絶望のふるまいの陰に、途上の石くれにも意義があるのだという屁理屈を信じてみせる寛容を示す。それは寛容とは呼ばない。社会の趨勢に対する卑屈である。利益を得る人びととは、その無価値な石くれの陰で、卑屈な人びとを相手に石くれの価値を捏造する人びとである。

 途上の石くれに意義を見出す人間に、すでに内奥の充実はない。なぜなら彼は、みずからの努力目標を分析し、それに邁進し、なかなか完成に近づくことのできない無能な自己を倦まず責め苛みながらも、ふたたびみたび姿勢を正して価値と信じる目標に向かい、豊かな完成を夢見るという、人間らしい徒労を看過しているからである。人びとの自己解放の結果がいかに辛苦に満ちたものであろうとも、まさしく彼らの畢生の目的に結びついている場合、彼ら個人同士の競合はこの世界を歪曲させないだろう。

 ここまでは、目標を見はるかす道の上にあった石くれ、すなわち体制側の設定した登竜門の話であった。問題とすべきは、みずからの目的の途上にない登竜門を、なんらかの不純な理由でくぐろうとする場合である。一例を挙げれば、盛唐の詩人杜甫がすでに詩人としての名望を得ていながら、不如意な生活への不安から別途の社会的名望にあこがれ、官僚たらんとして一生の長きにわたって科挙試験を受けつづけたというがごときである。しかしこれは、登竜門そのものに対する憧憬からではなく、貧困を脱するための手段に登竜門通過が直結していたことを斟酌すると、さして不純とするにあたらない。

 これに対比して、わが国における明治期以来の受験熱、有名校合戦などは、これといった余儀ない渇望や希求の理由が見出されず、もはや病と呼ぶにふさわしい。断続的に行事として繰り返される競争そのものに《目的》の染色が施され、しかるに、その競争を勝ち抜いても一向に本来の目標の達成は確約されないのである。だれもが抱えているはずの不安定な未来を、断続的な行事の形でわざとらしく目睫にチラつかせて、ひたすら競争を継起させるこの実態こそ、まさしく永遠の競争社会の正体であって、競争の渦中に抛りこまれた人びとのいつ終わるとも知れない自己抑圧には、おぞましくも悲惨なものがある。

 さらに惨めなことに、彼らは人生における真の目的の埒外にあるいっときの成功を過大評価し、本来終わることのない自己鍛錬から逃避しようとする。無目的な成功を契機に、目先の構想に明け暮れた自己抑圧は新たな抑圧の日々を生み、ふたたび近距離の目標が設定され、次の門に至るまで、いまのところ最も大振りな登竜門通過の肩書きを振りかざしながら、自分に似た人びとの中を泳いでいく。

 これを要するに、究極の目的は棚上げするか忘れ去るかすることを条件とし、一般よりも資格や肩書きの上ですぐれていればこと足れりとする無目的な社会、と定義してよいだろう。そこに競争社会の本質がある。しかく定義される社会には、もはや真の意味の栄達も立身も必要がない。言ってみれば、競争の局面でのみ秩序が保たれ、律儀な自己抑圧が遵守された上で、肉体的にも精神的にも健康な生活を獲得することに目的が設定し直されるという、じつに皮肉なジオラマを眺めることができる。

 私はいま、ここに、風に揺れる葉のように、ふるえながら立っている。徒手空拳のとてつもない無力感の中で、改革の狼煙(のろし)を揚げようとも思わずに。そして、かつては自分も偏見にまみれた愚民であったことを悲しみながら、立ち去ろうと決意している。私はアラン・ブルームの言葉を思い出す。

『人間が解放の喜びを知るためには、その前に、偏見と呼べるほどの何ごとかを、まず心から信じていなければならない』

 才能に基づいた自己解放的な努力が嫌忌(けんき)され、有能な個人が無意味な競争によって篩(ふる)い落とされるという教育的間引きのはびこる状況を、これに不足を覚える者たちが渾身の力で排斥しないかぎり、言挙げのタブーを好む凡庸な人びとが頼みとする競争社会は生き永らえるだろう。

 不足だけを述べながら意気地なく去っていく者のかすかな希望を述べさせていただくなら、改革の芽が萌(きざ)すためには、おそらく、才能豊かな人間の魂は、一定の登竜門をくぐるほど小粒には造られていないだろう、という一大事に多くの良心が思い至ることが必要であり、いつかそれを甚だしく啓発する者が現れて革新の先頭に立つにちがいないということだ。その啓発者はまず、途上の躓き石を取り除き、道端に遊び場としての寺子屋をしつらえ、そこで好学の徒たちが開放的な心持ちで遊びを繰り返しながら目標に近づいていく社会を、悠揚然として実現するだろう。 

      文薫貲8D 430251G  川田拓矢

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     ・・・・・・・・・・
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