サイドさんの息子の善郎に野辺地の祖母に対する不義理をなじられた夜、私は死んで詫びたいという馬鹿な考えを起こした。

 

「叔父さん、飲めるところまで飲んでもいいですか。一度やってみたかったんです」

「ああ、いいぞ。叔父さんと飲み比べするか」

「いえ、一人でどれくらいいけるかやってみます」

 

 善郎は苦笑いしながら自分の部屋へ引き揚げた。

「よし、ぶっ倒れたらおしまいにしよう。椙子、蒲団を敷いとけ」

 叔母さんはニヤニヤ笑いながら、隣の部屋に蒲団を敷きにいった。サイドさんは五本の徳利に冷や酒をついで私の前に並べた。善夫と寛紀が目を丸くしている。

 

 一本目を直接口に当てる。うまくない液体を飲み干す。二本まで何と言うこともなく飲み終えた。いやな予感から息を継いだ。

「終わりか? いつでもギブアップしろよ」

 サイドさんは唇を緊張させて言った。

「だいじょうぶ、まだまだ」

「ゆっくり、ゆっくりいけ」

 

 下戸の善夫が、不安そうにサイドさんと私の顔を見比べる。三本目を空けた。もっといけると感じた。しかし四本目を空けたころから、首にドクドク脈が拍ちはじめ、みぞおちのあたりに焼けつくような違和感を覚えた。電話の横の七宝模様の花瓶がやけにテラテラ光って見える。

「危ないな、飲むスピードが速すぎる。やめとくか?」

「いけます。もう一本」

 

 五本目を流しこんでいる途中で、急に、自分がもうマトモでないことに気づいた。ひっきりなしにテーブルや、台所の壁に掛かっているフライパンや、私を見つめている四人の顔がまぶしい蛍光灯の光に溶け合った。必死になって神経を集中させると、そのときだけまたもとの輪郭を取り戻した。ようやく飲み終え、もう一本、と言ったとたんに意識を失った。

 

 障子から射してくる薄暗い光に目覚めた。善夫が隣の蒲団に行儀よく寝ていた。首がべとべとするので、手で触ると、胸もとや蒲団の襟に、水気を含んだ吐瀉物が貼りついている。頭を動かすとぐらぐらした。すぐに吐き気がやってくる。柱時計がまだ五時前なので、そのままもう一眠りすることにした。胃の重みを感じながら、眠りこんだ。

 ふたたび目覚めると十時だった。キッチンテーブルのほうから話し声がする。笑いが雑じっている。蒲団の襟を見ると、いつのまにか新しいカバーをかぶせられていて、シャツはランニングに替わり、首もきれいに拭ってあった。吐き気が飛んでいる。

 

「お、よく寝たか」

 

 起きだして台所へいくと、テーブルからサイドさんが笑いかけた。善夫と二人で朝からビールをやっている。飲めない善夫は真っ赤な顔をしていた。昨夜の私の鯨飲に刺激を受けたのかもしれない。どこかの部屋から掃除機の音が聞こえた。

 

「二、三カ月分、寝たって感じだろ」

「はい。すっきりしました」

 

 寛紀がやってきて、コカコーラの瓶を差し出した。

 

「げっぷが出るといいんだって」

「ありがとう。善郎は?」

「サッカーの練習に出かけた。いつも日曜日はサボってるのに」

 

 私は微笑して、

「彼が帰ってきたら、ぼくが反省してたって、いまは反省することしかできないって言っといて。叔父さん、きょうは友人に会う約束をしてるので、これで帰ります。また折を見て伺います」

 

 サイドさんはコップを掲げ、

「これからは、うまいウィスキーとチーズに目覚めさせてやるからな。シッピングと言って、酒はちびちびやるものなんだよ」

 

「はい、楽しみにしてます。叔母さん、蒲団に吐いちゃってすみません。ご迷惑おかけしました。叔父さんのランニング、記念に着ていきます。夕食、ごちそうさまでした。とてもおいしかったです。じゃ、善夫、このひと月、世話してくれてほんとにありがとう。阿佐ヶ谷と高円寺は隣だから、ときどき遊びにいくよ」

 

 東大に合格した翌日だったが、だれもその大学の名前は出さなかった。

 

「おお、くるなら夜にしろよ。俺は泊まりが多いから」

 ボイラーマンの善夫が言った。

 

「うん。じゃ、帰ります。さよなら」

 

 急性アルコール中毒で死ねる人間は、よほど麗しき脆弱さに恵まれた人間だと思い知った。

 

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 早稲田に入学してひと月ほど、さまざまな授業に出た。教授たちの特徴は、巷間の情緒を笑い飛ばすことだった。彼らのものの見方の一面性からすれば、たしかに、そういう情緒のすべてが非常に単純で明白だったにちがいない。

 

 名もない人間どもの愛とか、友情とか、苦悩とかいった、学問の糧にならない非論理は、歯牙にかけるべきものではない――その意味での彼らの自信は揺るぎないものだったので、非論理に対する論理の優越性を疑うようなやつは、軽蔑するか屈服させるかのどちらかしかありえないのだった。

 

 大学の教師たちが認めるのは、自分と同等か同等以上の知識人、あるいは自分を崇拝する同僚や学生たちだけだった。彼らはすでに『学問』への情熱を失い、居心地のいい権威集団の片隅に安住していた。むろん、黒板の緻密さを見れば、たとえ付け焼刃でも『学習』は熱心につづけていることはわかった。その精力だけはまがいものではないようだった。ある意味そういう独善は、スケールこそ小さいけれども、英雄の証だ。しかし色を好むはずの彼らに色気を感じなかったのはなぜだろう。

 

 

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 あの六カ月にわたる探索のあいだ、私はおめでたくも信じていたのだった。滝澤節子は絶望の苦しみを越えて、再会の希望の中に生きている、操のように保ちつづけた希望の中へ私を迎え入れるために、だれにも、私にさえも居どころを明かさないで、ひっそりとどこかの町にひそんでいる。そう思うと、滝澤節子の裏切りに対する怒りが和らいでいくような気がした。

 しかし、あのアパートのドアが開いた夜のなんと残酷なことだったろう! そしていまではなんと遠いことだろう! 

 

 

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―竹内銃一郎(劇作家)―

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