2015.04.09 Thursday
Sさん
Sさんという、もと読売新聞社に勤めていて、いまは個人経営の広告代理店をやっている人が、月にいっぺん神奈川県の真鶴から、仕事の合間を縫ってせっせと埼玉県の伊奈まで通ってきて、私のビデオ撮りをしている。私の暦日の思索をほじくり出し、映像に収めたものをインターネットにアップするためだ。私の本が一冊でも売れて、世に広まることを願ってのうえである。
彼は『牛巻坂』を読んで以来、私の作品群を正真正銘の一級品と認めている。だからこの一連の仕事は、私に対する無料奉仕である。おまけに彼は、伊奈訪問に際して土産まで携えてくる。なかなか、いや決してできることではない。
以前に一度書いたが、Sさんは私を読売オンラインの編集者に紹介して、十二回におよぶ映画評を書かせてくれた人である。それは、人のあまり知らないものは紹介しないという作法を怠り、しかも映画好きを目当てにした感情移入の激しいものだったので、一年で打ち切りになり、彼の顔をつぶした。
Sさんは現在40歳、早稲田予備校および早稲田大学文学部出身者である。教養人であるのに、私の無教養などいっさい歯牙にもかけず、思索の核だけを抉り出そうとする。そうして心から感嘆し、大満足で引き上げていく。私は常に神々しいものを見る目で彼の背中を見送る。
Sさんの弟も、私の『あれあ寂たえ』はじめ諸々の作品の愛読者である。二度ほど酒を介してSさん同伴で会ったが、兄と同様深い思索をする明るい人物だった。渾身の力で、経営の苦しい兄の会社を手伝っている。彼はかつて引きこもっていた苦悩に満ちた時期に、『あれあ寂たえ』によって救われたと言った。私の作品が人を救ったという唯一無二の伝聞である。
Sさんは、15年余りにわたって、常に私を忘れず、私財をなげうって私を支援しつづけている。このような奇跡がなぜ起こりうるのか、と私はいつも考える。そうして、Sさんの中にみずから信じる絶対価値があり、それが私の作品の中にしまいこまれた価値観と正確に一致するからだろうと推測するにいたる。おおよそ一致するのではなく、ぴったり一致するのである。
これまたなぜだろうと考える。『全き詩集』を詩の世界社から上梓したころ、私は26歳だったが、私つきの編集者に促されて有名人のたむろする酒場を連れ歩かれた。あるバーで、当時勢いのあった大御所の女流作家に、
「資料もなしに、自分の頭だけでものを書いてると、世間に受け入れられないわよ。思想の井戸なんていずれ涸れるんだから」
と叱咤された。
「少なくとも、自分でものを考えたほうが、物真似でないという確信がもてますよ。貴方の作品は、福永武彦の―」
と言いかけて、私はその編集者に表に連れ出された。
「だめですよ、ビッグになりたければ、ああいうことを言っちゃ」
それ以降、私は文学者という人びとに会っていない。作品は常に自分の頭だけでこしらえてきた。だからこそ、Sさんや彼の弟と価値観が一致したのだ、涸らさずに湧出させつづけた混淆物でない思索が彼らのものと一致したのだ―それが私の結論だった。彼らの支援を無にしない方途は一つしかない。思索の泉を涸らさないことである。
もう一つの結論がある。自分の頭脳だけで考えたものは、あまりに独自なものになり、権威の裏打ちもないので、まちがいなくビッグになれないということだ。しかしそれも、Sさんは歯牙にかけていない。自分を感動させるものを価値とし、人に知らしめようとする。ここまでくると、Sさんは私と心中することを願っているのだとわかる。
私も喜んで彼と心中しようと思う。
2007年度の川田先生の教え子です。
川田先生の繊細で力強い言葉にこうして映像で触れることができるとは思ってもみませんでした。
僕をはじめ、川田先生を慕う人たちはみなうれしく感じることと思います。Sさんの素晴らしい心意気にただただ感謝です。