恐怖

 どうしても勝ちたい人間がこの世の大半であることをいつのころか知った。人間が生き延びねばならない生命体である以上、それは正しい本能であるにちがいないと思ったが、愛の獲得こそ最大の勝利であると信じる私の本能ではなかった。自分は正しき本能の持ち主ではない敗北者であると知ることは、底知れない恐怖を引き起こした。恐怖は直ちに諦念に結びついた。競争をせず、愛情を基盤に生きることだけに集中しようという諦念である。

 階級闘争のない職場で働き、相応の賃金を得て、それを糧に趣味を遂行する。書物、音楽、映画。すべてその諦念に付着した余生愛撫の産物だった。時間のすべてをそれに注いだ。やがて、とてつもない虚しさがやってきた。私の趣味の範疇にいる創造者もまた、正しき本能の持ち主たちだったのである。

 ただ、彼らは特殊な勝利願望者たちだった。神与の観察眼を発揮して、他より優れようとする者たちだった。正しき本能によって、私のごとき敗北者の本能を描き出せる人びとだった。愛の獲得を勝利と観じていないのに、愛を描き出せる人びとだった。その神与の能力によって私は浄化された。私は彼らの本能に対する疑惑という虚しさを永遠に抱えながら、彼らに打ち据えられる人生軌道をふたたび選び直した。

川田拓矢 23歳