一人の人間に多くの役割を求めることはできない。多くを求めると、すぐれた単一機能の美しさを保てなくなる。人は強く、美しく、一つの人生を生き抜くべきだ。
愛河 中日ドラゴンズ41より抜粋
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愛河 東大249より抜粋
]]> 短いあいだに二人の知人に声をかけられた。こうしたことは、おそらく意外なできごとなのだろうが、私はまったく感銘を受けなかった。彼らもそれほど心を打たれた様子はなかった。こんなものだろう。むかし見知った顔が通り過ぎただけだ。たがいに会わなくなってから築かれたそれぞれの生活は、微塵も影響を受けない。私を育てた〈場所〉には会いたいけれども、人には会いたくない。会えばかならず幻滅する。幻滅は、予定されていなかった悲しみだ。
もう一度宮谷小学校を見やりながら帰路に着く。なつかしい微笑を浮かべて迎える場所はほとんど消えてなくなり、人間だけが毎日笑いながら生き延びていた。青木小学校と宮谷小学校は目に収めた。繰り返し子供を吸収し吐き出す公共の場所だけは、消えてなくならない。そこは、子供たちが溌溂と烏合して、喜びの記憶を残す場所だ。
(愛河 東京大学217章より抜粋)
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順風、逆風、頬に受けよ。
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雨 かきくらし降る
くりや溝(どぶ)に吐き出される水の音
親しみを強いてやまず
外に 黒犬の濡れしぼつ
雨 かきくらし降る
「全き詩集」『淡彩の序』より抜粋
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校庭。羊どもの不安と性欲を解消する遊園地。
「愛河」より抜粋
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]]>海さして なだれていく坂道に
澎湃(ほうはい)と
草の香はみなぎり
海が聞こえる……
「全き詩集」筆健なき女の未来に『S〈5〉』より
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ああ 堤川
なさけあるならかへりせよ
われの恋するはらからの
われを顧(おも)えることだになきとも
「全き詩集」唄う頃『堤川』より
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迸(ほとばし)り落ち合い
たゆとう心のままに
うつつ世の
澪標(みおつくし)を渉れ
悲しまずに
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]]>失敗の人生である。
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千年を生きられたら
かくも色濃く
思い出は石面(いしづら)を染めないだろうに…
「全き詩集」『思い出』より
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友情と向学心は、愛と知性を包摂する。
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両儀交わるところ愛あり
人と人との前線に倒ることを覚悟しつつ
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]]>こども叱るな 来た道じゃ
年寄り笑うな 行く道じゃ
…………
「全き詩集」傷逝の歌 より
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振りかえるごと
愛する女(ひと)の
掌(て)かざしていき
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]]>深き夢
老いてひとつ
]]>心のごまかし。これが最大の嘘。優越感を隠すこと(韜晦)。劣等感を隠すこと(誇張)。
愛情を隠すこと(私はあなたに愛される資格がない、あなたが好きだが応えられない、抱きたいがあなたを傷つける)。後悔を隠すこと(これでいい、最高の人生だった)。希望を隠すこと(高望みはケガのもと)。
私は自分を守る嘘はつかない。自分が人間の平均値でないことを意識しているが、その恥ずかしさは胸中深く秘め、嘘で糊塗することはしない。
私の最大の恥は、野心なく生まれてきたこと。したがって、流れる水のごとくで、何者にもなろうとする努力を常に途中で放棄する恥ずかしい人生を送った。しかし、その恥のおかげで何者かになろうとする時間が節約され、一瞬一瞬の趣味に没頭できるという最大幸福がもたらされた。
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教育のない者が教育による自己達成にあこがれるのは、後悔という自然な心の動きである。成功した芸能人が大学にいきたがったり、芸術家や政治家になりたがったりするのは、満足のいく自己達成がなされていなかったからである。晩年成功してからの自己達成が叶わない場合、いわゆる世のため人のための目標に向かって自己達成を図ることもある。
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せせらぎが岩を動かすような忍耐力に、幸運の女神の怪力が加わる。理想の人生。
いつのころからか、たぶんあのやさしいスカウトが去ったころからか、私の中に自棄的な気分が芽生えはじめたのは。どれほどのやさしさも、根本的に他人の人生の指針を改変できはしない―それができるのは自分だけだ。その絶望が、もうやさしさなどどうでもいいと私に呟かせるようになった。
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かつて快楽のために使った手が老いてしおれている。
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澄んだ哀しさは、命の甘露だ。それは言葉と旋律でしか表せない。濁った生活に倦んで歌を歌い、言葉を書きつけようとした先人の気持ちがわかるような気がする。彼らは澄んだ哀しみの甘露を飲みながら、清潔に生きつづけたかったのだ。
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「そいつァそのとおりだろうさ。結婚して、子供を育てる、そういう女の生き方を笑える奴ァ一人も居ねえだろうよ。ところが野郎ときたら、どんな生き方をしたって、どこか不完全で、誰かに笑われているような気がしてしょうがねえもンだ。子供を育てるなンて立派な項目は男の生き方にはねえンだからな。男のすることの一番根本は、誰にも笑われねえ場所をみつけるために、もがくってことなンだ。そのもがきを封じちゃいけねえ。もがく自由を与えてやりな」
(怪しい来客簿―『ふうふう、ふうふう』色川武大)
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能書きに頼らず、鍛錬で自分なりの強固な核を形成し、その核にのっとって無様でなく実行すれば、物事は大概成功する。この世のあらゆる範疇の仕事はその伝で陽の目を見る。
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この作品に、モンテクリスト伯やジャン・バルジャンのような針の振れた個性人が登場しないのは、そんな個性を創造できないこともあるだろうけど、作者に知性人の内輪話を書くだけの能力しかないからだ。どんな思想の激しい流行も、流れを堰き止めるような強烈な個性人の前にはくだらないたわごとになる。
いずれにせよ、血統書つきの東大受験生の日常など描写するに値しないので、思想らしきもの、と言うか、大勢をうなずかせる流行のイデオロギーとセンチメントが必要だったということだ。選者を代表して三島由紀夫が才気とウイットに富んだものとしてこの作品を選んだ。五月何日かの三島と全共闘とのくだらない問答を考えると、彼は快哉を叫びながらこれを選んだものと考えられる。
いったい何が青春の苦悩だろう。東大全共闘とか、知性否定とか、やさしさを求めてとか、私には信じられないほどの世界の狭さだ。冷厳な知性を維持しながらやさしを求めてもだれも救えないという意味で、知性尊重こそやさしさの極北にある。だいたいやさしい知性という連語は成立しないだろう。私もかつて、やさしさは理知だ、という衒った連語をノートに書きつけたことがある。まちがっていた。やさしさは無私であって、理知ではない。いまははっきりとわかる。
カナリア色のコートを着た少女が主人公を振り向いて、気をつけて、と言う。その少女がやさしい知性の象徴で、彼女のように自分も強さとやさしさを持って生きていくと決意する段になっては、もはや意味不明だ。表題の謎解きをする努力が水の泡になった。作者の言う知性は、最終部分でもっともらしいものにすり替えられてしまったけれども、語り始めの意識は、受験勉強から連綿とつづく最高学府での学問知識のことにあったはずだ。政治学、経済学、社会学などという知識は人間の情緒と無関係の酷薄なものだ―そこにあったはずだ。
知性とやさしさは乖離させなければならない。知性などかなぐり捨てて、永久に人間情緒の綾に翻弄されて生きてこそ人間だ。神を内側に置いた頓馬なピュリタンにとって、苦悩は宿命なのだ。宿命を苦悩する術はない。そんなものケロリと忘れて、夢のような平安の中に暮らせばよい。それが知性に永遠にタッチすることのないやさしい人間の在り方だ。立派な一生も愚かな一生もさして変わりがない。人は日々の苦痛の中で、悔いを残さないように努力し、それなりに収穫があればそれでいい。煎じ詰めれば、生まれて生きて死ぬという愛嬌のない自然の摂理に蹂躙されるしかないのだ。
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名声ばかりでなく、人の命もあっけない。なのに人は、この生活が、この世の中が、この命がいつまでもつづくだろうと漠然と考えて生きている。そして、幸福でない。すべてが幻想なのだと思い知るときをなるべく早く経験するのがいいのだ。そうすれば、いまの一瞬一瞬の幸福感が最大になる。
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階級闘争のない職場で働き、相応の賃金を得て、それを糧に趣味を遂行する。書物、音楽、映画。すべてその諦念に付着した余生愛撫の産物だった。時間のすべてをそれに注いだ。やがて、とてつもない虚しさがやってきた。私の趣味の範疇にいる創造者もまた、正しき本能の持ち主たちだったのである。
ただ、彼らは特殊な勝利願望者たちだった。神与の観察眼を発揮して、他より優れようとする者たちだった。正しき本能によって、私のごとき敗北者の本能を描き出せる人びとだった。愛の獲得を勝利と観じていないのに、愛を描き出せる人びとだった。その神与の能力によって私は浄化された。私は彼らの本能に対する疑惑という虚しさを永遠に抱えながら、彼らに打ち据えられる人生軌道をふたたび選び直した。
川田拓矢 23歳
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川田拓矢 24歳
]]>祝辞
「平成30年3月8日」
心から、早稲田大学合格おめでとう、と言います。よく受かった! 二度受かるのは難しいよ。人生に一度の僥倖だ。
学歴という意味での挑戦にはピリオドが打たれたのだから、これから先の人生は、柳に風で流してください。失敗したらとことんがっかりする、眠れないならとことん寝ない、受け入れられないならとことん拒否を甘受する。かならず反作用が起きます。とことんがっかりしたらかならずもう一度やる気になります、とことん寝なければ道端で横たわりたくなるほどの熟睡がやってきます、とことん拒まれれば宗教的と言っていいほどの慈愛が芽生えます。
ものごとは一途に、ぶれずにやることです。反作用が起きるまで。今回は、挫折の反作用で合格が訪れました。しかしこんなものは、人生の数直線上のたった一点の僥倖にすぎません。反作用は人生の不思議から生じる僥倖です。努力の結晶などとほざいてはなりません。一途に、ぶれずにやった結果の幸運なのです。
たくさんの幸運に恵まれるよう祈ります。出会った人間が不幸になるのは悲しい。きみたちの幸運を眺めながら生きていきたい。一途にぶれない姿は、もう眺めました。今回の幸運も眺めました。噂で、テレビで、新聞で、きみたちの幸運が、これからもしばしば耳に入ってくることを願います。
誇り高き早大生として、喜び、悲しみ、苦しみ、挫折と僥倖に満ちた、スリル満点の学園生活を送ってください。生きていたらまた会いましょう。十年ぐらいはこの言葉が有効かもしれません。 川田 拓矢
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早起きをして、高円寺駅の売店でアルバイトニュースを買って喫茶店に入った。きょうから新しい生活が始まる。モーニングサービスを食いながら、土工の仕事を探す。案外少ない募集の中から、時給のいちばん高いものに決める。武蔵小金井・大林組マンション建設作業員・時給千五百円・日勤日払可・就労九時〜十七時・休憩十二時〜一時・宿泊設備あり・面談・履歴書不要。日払可に注目する。高円寺から一本でいける。駅の路線表示で片道の交通費を確かめる。三百七十円。
家に戻り、冬物のTシャツと綿パンに着替えた。日払いなので帰りの交通費は要らない。ポケットに片道の交通費を入れる。昼飯は食わない。家に戻ってから、焼肉でも食いにいこう。きょうからコツコツ稼ぐのだ。ズック靴を履く。千年平畑の高架橋の下へ出かけていく気分だ。やわな労働などまっぴらだ。
さびしげな武蔵小金井駅に降り、新聞に書いてある住所を頼りに建設現場にたどり着いた。乱雑に建築資材が山積みされている傍らに、鉄骨だけの建物がそびえている。まだ四階までしか組み立てられておらず、最上階から触覚のように無数の鉄棒が突き出している。事務所にいく。
「早稲田の学生さん? きついよ。無理だと思ったら途中で帰っていいからね」
ヘルメットをチョコンと頭に載せた現場監督が言う。
「だいじょうぶです。やれます」
「じゃ、すぐかかってくれ」
建物の裾にいき、ニッカボッカに地下足袋の作業主任に挨拶する。軽蔑したような目で見る。
「階から階へ四枚の板が渡してあるだろ。あれを歩いて一番上まで鉄材を運ぶ。担げるだけ担げばいいが、五本はつらい。三本ぐらいにしておけ」
すでに何十人もの作業員たちが持ち場についている。声をかけ合っている。鉄材を運んでいるのは四、五人だけだ。私のような格好をしているやつは一人もいない。すれちがう男たちが、主任と同じ目で私を見る。
「ほれ、これを肩にあてたほうがいいぞ」
厚手の雑巾のようなものを放ってよこす。鉄材は空地に無造作に積まれていて、直径二センチくらい、長さ四メートルほど。一本を持ち上げてみると、とてつもなく重い。これはたいへんなことになった。あたりの男のまねをして、しゃがみこみ、三本ようやく肩に載せた。棒がしなるので、立ち上がるのがえらい骨だ。重心を見つけてどうにか立ち上がり、歩きだす。鉄材のたわみに負けてよろよろする。五十センチほどの幅の板に乗り、登っていく。牛の歩みだ。肩に異様な痛みを感じる。男たちが併行する別の板を歩いて追い越していき、三分もしないうちに降りてくる。ボルトを打ちこむ音、溶接の音、時折の人声。現場というのはこれほど静かなものなのか。西松建設の労務者たちもこうだったのか。四階まで十五分もかかった。大汗をかいている。青物問屋のアルバイトの十倍もきつい。コンクリートの床に鉄材を投げだし、降りていく。
二度目は多少慣れたのだろう、十分ほどで登りきった。引き返そうとして、とつぜん目まいがした。両手を膝に突いてこらえる。ああ、何をやってもだめだ。みっともない。理想の仕事をしているのに、少しも美的でない。こんなみっともない男に、当然だれも励ましの声をかけるはずがない。よし、今度は四本だ。
立ち上がるのがやっとだった。板を登りはじめたところで、吐き気に襲われ、うつむいた拍子によろめいて横倒しになった。投げ出された鉄材の上に吐いた。モーニングサービスがすべて出た。
「帰れ、帰れ!」
主任が叫んでいる。彼の言うとおりだ。そうするしかなかった。手で口を拭い、うつむいて表通りへさまよい出た。胃がへんに痛む。自分に呆れて、涙も出ない。ふと、帰りの電車賃がないことに気づいた。途方に暮れた。
―なんてことだ。きょうから新しい生活が始まるだと?
目についたポリスボックスに立ち寄り、人のよさそうな警官に頭を下げ、財布を落としたと嘘をついた。四百円借りた。しっかり住所と名前と身分を書き、後日、お礼がてら返済にくると約束した 。
「四百円でも公費ということになるから、そうしてくれるとありがたいな」
商店街を歩いて、肉屋で二十円のメンチを買って食べた。胃袋の痛みが消えた。中央線に乗って高円寺へ戻っていく。窓外に真昼の光がある。無能な男を虚しく包む慈愛の光だ。飯場で六年も幼少時代をすごし、土工を地上の星に見立ててあこがれつづけた勘ちがい野郎が、星の光の底力を初めて知った。無様だ。
最大の希望が消えた。同時に気取った哲学も消えた。正確には、持病の倦怠を治療する最後の拠りどころを失ったのだ。
数日後、あのポリスボックスに出向いて、別の警官に四百円を返した。倦怠は人を不誠実にしない。無能でも誠実に生きていける。一縷の希望としてそれだけが残った。
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「自分の器の中に静かにこもり、大勢の人とぼんやり生きていきたい。心穏やかに、競争のない場所で、愛し、愛されて生きていくんだ」
「なんだそりゃ! 自殺じゃないか」
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若いころ、なんだか、人生というものを見くびりそうだった。うまくいきすぎるのだ。バルザックの言葉だったか、人間喜劇とはよくぞ言い当てものだ。苦役の人生と見えて、すべてはほほえましい大団円なのだ。
JUGEMテーマ:読書
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私の無能さは彼らにばれている。知識や教養をひたすら軽蔑する、それこそ無能の証だからだ。ばれたっていい。私が人間の中に見出したい高潔な人びとは、少なくとも彼らじゃない。ひとことで言えば、いつも自分自身にとって偽りと思えることをぜったい言わない人びとだ。私は高潔な無能者だ。
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高校二年生はむだめし食いに決まっている。私はその日まで、彼女の秀でた顔つきからは想像し難いほどの意地の悪さと共生してきた。いつか親子の関係は改善されると希望を持ちながら。しかし、まったく見当がちがっていたことが、いまの言葉を聞いてはっきりしたのだった。
「むだでないめしを食えということは、働いて食えということだね」
「そうだよ」
「じゃ、どこかに働きにいこう。立派に働いてやる。安心しろ。受験なんてのはどこにいてもできる。そのときには受験料ぐらい送ってよこせよ」
自分が何をしようとしているのかもわからず、私は箸を置いて食堂の外へ出た。社員寮のあてがわれた部屋へ戻り、抽斗のへそくりすべてをポケットに入れて、寮の門をあとにした。ひたすら腹立たしいだけで、地面を歩いている感覚がなかった。
あの女は、息子がかつて不良だったことが無上の喜びなのだ。社員たちの環視の中で、たえずいわくありげな視線で私を刺し貫き、私がひるんだ態度を見せると深い満足を覚えるようだ。息子の更生が自分の手柄としてクローズアップされることを願っているからだろう。社員たちは、君子危うきの伝で、私たち親子を黙殺することに決めている。
『あんたの恋い焦がれた希望とやらを入手するのが、どれほど簡単なことかを思い知らせるために勉強してきたが、もうやめだ。あんたと、あんたの信仰を支持する世間とも絶縁する。簡単に手に入るものなど、希望の名に値しない』
バスのない時刻だったので、名古屋駅まで一時間ほど歩いた。ホームに来合わせた東へ向かう鈍行列車に乗り、朝の八時前に上野に着いた。売店で新聞を買い、早朝から開いている喫茶店に入って、募集欄をぼんやり眺めた。机の抽斗からこそぎ取った数万円がポケットにあるけれども、まず働いて見せなければならない。
コーヒーを二杯お替りしたあたりで、店内のざわめきを子守唄に不覚にも三十分ほど眠りこんだ。店員に肩をつつかれ、三杯目のコーヒーを頼んだ。あらためて募集欄を念入りに調べた。住込み可となっている神田小川町の『アミ』という喫茶店に目星をつけて訪ねていった。痩せて眼の吊り上がった店長に本名を名乗り、
「愛知県の名古屋西高校というところを卒業してから、しばらく区役所に勤めていましたが、自分の本来の仕事でないと思い直し、上京しました。働きながら大学を目指すつもりです」
と言うと、疑わしい表情もせずにすぐ採用した。書類に連絡先を記すよう求められたので、あとで偽りとわかってクビにされたら困ると思い、記憶している飛島建設寮の住所を正確に書いた。午後五時から酒を出すサロンに変わると聞き、兼業農家のような喫茶店だと思った。午前十時から夜十一時までの十三時間労働、時給は二百八十円と告げられた。事務所の窓の外の木群れのてっぺんに、緑色に錆びた円蓋が見えた。私がじっとそれを見ていると、
「明治大学だよ」
と教えられた。二段ベッドが四つ置いてある二階の十帖の板間に案内され、仕事仲間に紹介された。眼鏡をかけた目つきの悪い肥大漢と、すらりとした長髪の色白男、ニヤニヤ漫画を読んでいるリーゼント野郎、九時を過ぎているのにまだ蒲団をかぶっている寝坊助。その部屋には何の緊張感もただよっていなかった。
店長は、ほかに何人か通いの店員もいるとつけ加えた。めったに開けたてしないのか、ベッドの上の小窓に蜘蛛の巣が張っていた。
「川田くんは、社会人経験のある浪人生だ」
と店長が言うと、長髪が笑いかけ、
「俺も浪人だよ。三浪。早稲田の理工学部志望」
と言った。眼鏡デブが、
「何浪したって受かるわけねえだろ、駿台の試験にも落ちたやつがよ」
と嗤った。私は意味もわからず笑いを合わせながら、
「アミって、どういう意味ですか」
長髪に尋くと、
「友だちとか恋人って意味。アミーゴ。英語でエイミャブルと言うだろ」
と答えた。また眼鏡が冷たく嗤った。
白い上着と黒ズボンを支給され、一時間かけてその寝部屋と便所の掃除をさせられた。店内全体の床や備品は何人かで手分けして磨きたてた。床から三十センチほど突き上がったプラットフォームが店の隅にあった。マイクが立っていた。
「あそこは何ですか」
「ステージ。三日おきに歌手がくる。一時間だけ歌う」
長髪が教えた。掃除がすむと、
「きょうは、喫茶のほうは、水だけ運べ。サロンになったら、仕事をしなくていいから。ウェイターの仕事の種類と作法を見て覚えろ」
とデブに言われた。二階へ上る階段の中ほどから観察するようにと言う。
喫茶店の時間は、かなり暇だった。三十分に一組ぐらいの客しかこず、水のお替りをするやつもほとんどいなかった。ただ、足が疲れた。足の裏がどんよりと痛むのだ。ときどき踵を回して痛みを紛らした。
五時半ごろから立てこんできた。ほとんどの客がコーヒーや紅茶ではなく、ビールとたっぷりした食事を頼んだ。ハンバーグライスなどという注文の声も聞こえたが、三人に一人は焼肉定食だった。店長はそわそわし、たえず眉をしかめ、神経質そうにしていた。ボーイに口やかましく命じて、水をつぎにいかせたり、コーヒーのお替りを持っていかせたり、厨房を覗いてコックをせかせたり、かと思うと、いつのまにかレジの仕事に精を出しているというふうだった。仕事にこれほどあからさまに苛立ちを示しながら、仕事を好んでいる男の行く末を考えてみたが、終点のない環状線のイメージしか浮かばなかった。
「あいつ、整形だぜ。こめかみの両ハシ切って、目を吊ってんだよ」
デブが言った。そういう空しいことをするのも、彼なりに悩んで下した結論だろう。私は何の関心も抱かなかった。
夜の九時を過ぎて、背広を着こんだ小太りの歌手がやってきた。四十あと先。聞いたことがない名前だったので、ドサ回りの売れない芸人にちがいない。カスケーズの『悲しき雨音』を日本語で歌った。声量だけやかましいくらいあって、音程は不安定だった。
歌手が帰ったあと、店の裏手にある明治大学へ出前にやらされた。教授室のようなところに焼肉定食を届けた。背中だけで応える男に、品物の名前を告げ、彼の背後のテーブルに置いて引き上げた。
岡持ちを提げて小暗い住宅街を出ると、御茶ノ水橋から小川町へ下っていく街並がネオンにきらめいていた。大勢の人びとが歩いている。御茶ノ水駅から吐き出されてくる人波だった。顔を上げている人がほとんどいない。この中に紛れて歩くのは簡単そうだ、自分に似合った生活かもしれないと思った。
出前だけで一日が終わったわけではなかった。十一時閉店のあと、十二時まで全員で清掃をやった。この一時間は無給だとデブが言った。そのあとで麻雀に誘われた。
「やったことがないので、ちょっと」
「一晩で覚えるから」
デブが苛立った声で言った。仕方なく仲間に入った。テーブルを二つ合わせてその上に毛布を敷き、ジャラジャラかき混ぜた。
「ほんとはテーブルクロスがいいんだけど、音が大きいと近所から苦情がくるんでね」
長髪が言う。彼が四浪することは確実に思えた。デブは勝負の合間にしきりに床に唾を垂らした。そのトロリと垂らすやり方が、社員寮にいた詩吟男の小林さんに似ていた。よく見ると、小林さんとそっくりな顔だった。漫画野郎が勝った。結局一日分の給料を超える金を吸い上げられた。ポケットの金を出して払った。
「給料日払いでツケにしといてやろうと思ったのによ。気前がいいじゃねえか」
デブが時計を見上げると、五時になっていた。ゾロゾロ寝部屋へ上がり、空いているベッドに倒れこむようにして眠った。
つかの間の浅い眠りから起こされた。八時半だった。ぼんやりして、少し頭痛がした。デブが、
「めしだ。ステージの奥の食堂にいけ。九時から掃除。九時四十五分、着替えて待機」
こいつらは眠らないのかと思った。
掃除を終えて着替えているとき、長髪が煙草を勧めた。私は会釈し、あたりまえのように一本抜き取り、あごを差し出して火を点けてもらうと、慣れたふうに深く吸いこんだ。そうしなければならない微妙な見栄があった。とたん、ぐらぐらと目まいがし、そのまま壁に沿って横滑りに倒れた。
「なんだ、吸えねえのかよ」
デブが吐き出すように言った。こんなところにいる何の意義もなかった。しかし、当分ここにいなければならない。一回でも給料をもらってみないと、人びとが後生大事にしている労働の意義がわからない。意義とは、何につけ、苦しみや痛みが喜びやありがたみに収斂することなのだろうが、それは余儀なく働いている人間にしかわからない哲学だろう。いまの私の労働に必然性はない。むだ働きに終わることはまちがいない。それにしても、もう少しここに留まらなければ、啖呵を切ったことが道化になってしまう。
寝不足のせいで一日が地獄だった。五時までの喫茶部をなんとかやりとおしたが、しゃがみこみたいほどの疲労感に苛まれた。サロンへの切り替わりどきに、蝶ネクタイをするように言われた。長髪に教えられたとおりやってもどうしてもうまくいかないので、頼んで結んでもらった。
軒灯だけの薄暗い玄関ドアのところに立ち、客がくるたびに、
「いらっしゃいませ」
を繰り返した。明治大学に何回も出前に出された。閉店後の掃除が終わり、しつこい麻雀の誘いを断ると、仲間集めに電話をかけまくっている男たちを尻目に二階へ戻り、ベッドに潜りこんだ。泥のように眠った。それからの数日をこの伝ですごした。
小川町には古本屋が軒を並べていたので、昼のうちせっせとかよった。ボストンバッグを買い、梶井基次郎、尾崎一雄、長谷川四郎、和田芳恵、梅崎春生、林芙美子等、じっくり吟味して手に入れた本を貯めていった。単行本が十冊ぐらいになった。給料が貯まって、アパートでも借りたときに読もうと思い、一ページも開かなかった。
かよいの店員に気さくな明大生がいて、最初の休日、彼に連れられて新宿まで舞台劇を観にいった。明大演劇部の定期公演だという。裾の広いラッパズボンが街にあふれていた。一人残らず髪が長かった。朝鮮ヒゲもちらほら見かけた。めずらしいものとして記憶した。
「異化効果を最大限に発揮した芝居なんだ」
と、いつかサイドさんの家で善夫から聞いたようなことを言った。理屈ではなく本能で感じる ― たしか異化とはそんなことで、よくわからない定義だった。
その芝居は、いっさい脈絡のない意味不明の科白から成り立っていた。どぎつい告発が含まれているようだったけれど、その享受者を無視したインテリくさい作法に退屈した。客は折畳み椅子の座席に縛りつけられ、形も大きさもないエーテルのような存在になっている。彼らからは何の有機的な反応も期待しないというわけだ。しかし、科白の連関は意味不明だとしても、言葉そのものはわかりやすい平凡な概念を表したものだった。
「ありし日は、住む人もいと多かりし、ここなる都もさびれはて、哀れ、はかなく横たわり、ヤモメのごとくなりしかな。むかしは民の王にて……」
といったようなありきたりの慨嘆が、舞台の上だけに留まって、そこで完結し、満足気だった。エーテルたちからは喝采も起こらず、野次も飛ばず、土くれのようにしんと静まり返っていた。どうにも腹立たしかった。西高の同級生の水野や原田の人間的な高級さを思い出した。彼らを置いてきたことにとつぜん思い至り、胸が騒ぎはじめた。もう、一週間も経っている。いや、アパートを借りるまでは彼らに知らせてはいけない。知らせれば、彼らはたちまちやってきてこの労働を剥ぎ取り、私に安楽を与えようとする。いまは、労働の成果を母に示さなければならない。水野たちは心配するだろうが、少なくとも一カ月は連絡をとるのをやめよう。
それからまた一週間ほどして、ステージがたけなわのころ、
「いらっしゃいませ」
と言って顔を上げると、戸口のところに喪服のような黒い上下のセパレートを着た母が立っていた。顔に怒りはなかった。
「おやおや、こんなことをしてるの」
皮肉らしく笑い、
「すぐに責任者のところへいきましょう」
と言った。すでに店長は事務室にいて私たちを待っていた。
「高校を出て区役所に勤めていたわりには、まったく社会生活のにおいがしませんでしたのでね。勤めぶりは群を抜いておりましたが」
店長は母に吊り上がった目で微笑んだ。不気味だった。二人の話の内容から、店長自身が飛島寮へ連絡をとったものだとわかった。母は店長に、息子がまだ十八歳の高校生だということや、親子のちょっとした諍いから家出したのだということを手短に話した。店長はいつもの苛立った表情をおさめ、何の苦情も言わず、それとなく下手に出るような態度をとった。
「そちらの住所を書いてください。働いた分はかならずお送りします、と言いたいところですが、川田くんはこの近所のテーラーに背広の注文を出しておりましてね、まだできあがってきてないんですよ。その分を引きますと、二週間程度の給料からかなりの足が出ます。差額はけっこうです。背広はこちらの社員に支給しようと思いますので」
と言った。たしかに、ここに勤めて三日目か四日目に、古本屋街を歩いたついでに、仕立屋に寄って背広をオーダーしていた。学生服しか持っていなかったからだ。しかし、言い値は二万円程度のもので、四万五千円を超える二週間分の給料でじゅうぶん払える金額だった。私はとつぜん強欲な面相に見えはじめた店長の顔をつくづく眺めた。疑って名古屋に連絡するなら、初日にもできたはずだ。しっかり太らせてからシメたというわけだ。
持ち帰る荷物はボストンバッグ一つだった。その重い感触は腕に快かった。上野駅で母と二人並んで、ホームの端の暗がりに立った。暗いせいで彼女の表情が見えず、自分の顔を緊張させないでいられることがうれしかった。彼女に対する怒りは収まっていなかったが、無益な労働から解放された喜びのほうが大きく、わざわざ迎えにきたことに免じて怒りを相殺してやろうという気分になった。
「土橋校長先生が心配してね、私が迎えにいこうかとまで言ってくれたんだよ。おまえは西高のホープだからって」
めずらしく褒めた。車中で、生まれて初めて母から弁当を買って与えられた。鮭の切り身の大きい幕の内弁当だった。
「かあちゃん、鮭が大好き。毎日でも食べたい」
「ときどき、下働きのカズちゃんが、鮭のおにぎりを持たせてくれる」
「私だって、忙しくなければ握ってあげるよ。彼女の三倍も五倍も忙しいんだから」
「鮭というから、カズちゃんのことを思い出しただけだ」
「働くというのは、たいへんだろ?」
「ああ、無意味にね」
「でも、まあ、おまえがよく二週間ももったよ」
寮に戻ると、山崎さんが肩を抱き、三木さんが握手してきた。
「いい人生勉強をしたね」
と言った。佐伯さんは涙を流しながら、私の胸をドンとこぶしで突いた。彼らの寡黙な胸の内は、いつも騒いでいたのだった。それがわかっただけで、この寮でしばらく耐えていけると思った。大沼所長が、
「一円にもならなかったらしいじゃないか。給料というのは、この搾取社会では手にしてナンボだ。金は使いでがあるという意味では、アブク銭がいちばんいい。働いて得た金にはケチくさくなるもんだ。金にケチくさくなったら、男じゃない」
これまで所長や社員たちが、これ取っとけ、何かの足しにしろ、などと言って折に触れて手渡す小遣いは、何気なく抽斗に貯めておくと、毎月母の給料ぐらいになった。使い切れないアブク銭だった。今回もその金で家出したのだった。
電車に乗ってはるばる出かけていったネオンの街で、私はどんな人生を想い、何を勉強したのか。どんな場所にいても自分は最大限の精勤ぶりを示すまじめな人間なのだということがわかっただけだった。ある場所にたまさか属せば、その場所で奮闘して死ぬ人間。それはよいことか、悪いことか、悦ばしいことか、哀しいことか判断はつかないけれども、自分がきわめて律儀に集団の器に従う小粒な人間だとは思い知った。あれほど怒り狂って見境もなく出奔したにも関わらず、私は怒りに値する哲学を持っていなかったわけだ。労働の場所を与えられれば、たちまち唯々諾々として集団の羈絆に従う人間に、マシな哲学などあるはずがない。これは勉強と言えるものだろうか。たぶん明晰な哲学を持たないおのれを知るというポジティブな学習だったと感じる。
― 彼らは人と和合するために、主張すべき自我を持たずに生まれた。私も彼らの一員なのか? だとすれば、彼らを愛せなかったのはなぜか?
たしかに、あの場所は属して好ましい世界ではなかった。それは職種が好ましくなかったという意味ではなく、労働に追われて沈思する時間が持てない人間の集まりだったという意味だ。私は和合型の人間かもしれないが、和合した彼らを愛せないという意味で、人間的に一線を画していた。つまり私は愛を求めず、ひたすらものを思いたがる人間だったということだ。それなら、人と和合しながら沈思する行為そのものを職業にする以外、好ましい世界に属することなど見果てぬ夢だろう。
以来私は、思索を求めて、芸術家という仕事にあらためてあこがれるようになった。そして、多くの年月を経て、芸術は思索や創造を旨とする仕事ではないと認識するようになった。見返りを求めず、愛を求める行動に明け暮れて生き、倒れる、そういう精神と肉体の在りようを表現する生活そのものこそ芸術だとわかった。その認識のもとで、いまなお私は見果てぬ夢の中で生きている。
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サイドさんの息子の善郎に野辺地の祖母に対する不義理をなじられた夜、私は死んで詫びたいという馬鹿な考えを起こした。
「叔父さん、飲めるところまで飲んでもいいですか。一度やってみたかったんです」
「ああ、いいぞ。叔父さんと飲み比べするか」
「いえ、一人でどれくらいいけるかやってみます」
善郎は苦笑いしながら自分の部屋へ引き揚げた。
「よし、ぶっ倒れたらおしまいにしよう。椙子、蒲団を敷いとけ」
叔母さんはニヤニヤ笑いながら、隣の部屋に蒲団を敷きにいった。サイドさんは五本の徳利に冷や酒をついで私の前に並べた。善夫と寛紀が目を丸くしている。
一本目を直接口に当てる。うまくない液体を飲み干す。二本まで何と言うこともなく飲み終えた。いやな予感から息を継いだ。
「終わりか? いつでもギブアップしろよ」
サイドさんは唇を緊張させて言った。
「だいじょうぶ、まだまだ」
「ゆっくり、ゆっくりいけ」
下戸の善夫が、不安そうにサイドさんと私の顔を見比べる。三本目を空けた。もっといけると感じた。しかし四本目を空けたころから、首にドクドク脈が拍ちはじめ、みぞおちのあたりに焼けつくような違和感を覚えた。電話の横の七宝模様の花瓶がやけにテラテラ光って見える。
「危ないな、飲むスピードが速すぎる。やめとくか?」
「いけます。もう一本」
五本目を流しこんでいる途中で、急に、自分がもうマトモでないことに気づいた。ひっきりなしにテーブルや、台所の壁に掛かっているフライパンや、私を見つめている四人の顔がまぶしい蛍光灯の光に溶け合った。必死になって神経を集中させると、そのときだけまたもとの輪郭を取り戻した。ようやく飲み終え、もう一本、と言ったとたんに意識を失った。
障子から射してくる薄暗い光に目覚めた。善夫が隣の蒲団に行儀よく寝ていた。首がべとべとするので、手で触ると、胸もとや蒲団の襟に、水気を含んだ吐瀉物が貼りついている。頭を動かすとぐらぐらした。すぐに吐き気がやってくる。柱時計がまだ五時前なので、そのままもう一眠りすることにした。胃の重みを感じながら、眠りこんだ。
ふたたび目覚めると十時だった。キッチンテーブルのほうから話し声がする。笑いが雑じっている。蒲団の襟を見ると、いつのまにか新しいカバーをかぶせられていて、シャツはランニングに替わり、首もきれいに拭ってあった。吐き気が飛んでいる。
「お、よく寝たか」
起きだして台所へいくと、テーブルからサイドさんが笑いかけた。善夫と二人で朝からビールをやっている。飲めない善夫は真っ赤な顔をしていた。昨夜の私の鯨飲に刺激を受けたのかもしれない。どこかの部屋から掃除機の音が聞こえた。
「二、三カ月分、寝たって感じだろ」
「はい。すっきりしました」
寛紀がやってきて、コカコーラの瓶を差し出した。
「げっぷが出るといいんだって」
「ありがとう。善郎は?」
「サッカーの練習に出かけた。いつも日曜日はサボってるのに」
私は微笑して、
「彼が帰ってきたら、ぼくが反省してたって、いまは反省することしかできないって言っといて。叔父さん、きょうは友人に会う約束をしてるので、これで帰ります。また折を見て伺います」
サイドさんはコップを掲げ、
「これからは、うまいウィスキーとチーズに目覚めさせてやるからな。シッピングと言って、酒はちびちびやるものなんだよ」
「はい、楽しみにしてます。叔母さん、蒲団に吐いちゃってすみません。ご迷惑おかけしました。叔父さんのランニング、記念に着ていきます。夕食、ごちそうさまでした。とてもおいしかったです。じゃ、善夫、このひと月、世話してくれてほんとにありがとう。阿佐ヶ谷と高円寺は隣だから、ときどき遊びにいくよ」
東大に合格した翌日だったが、だれもその大学の名前は出さなかった。
「おお、くるなら夜にしろよ。俺は泊まりが多いから」
ボイラーマンの善夫が言った。
「うん。じゃ、帰ります。さよなら」
急性アルコール中毒で死ねる人間は、よほど麗しき脆弱さに恵まれた人間だと思い知った。
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早稲田に入学してひと月ほど、さまざまな授業に出た。教授たちの特徴は、巷間の情緒を笑い飛ばすことだった。彼らのものの見方の一面性からすれば、たしかに、そういう情緒のすべてが非常に単純で明白だったにちがいない。
名もない人間どもの愛とか、友情とか、苦悩とかいった、学問の糧にならない非論理は、歯牙にかけるべきものではない――その意味での彼らの自信は揺るぎないものだったので、非論理に対する論理の優越性を疑うようなやつは、軽蔑するか屈服させるかのどちらかしかありえないのだった。
大学の教師たちが認めるのは、自分と同等か同等以上の知識人、あるいは自分を崇拝する同僚や学生たちだけだった。彼らはすでに『学問』への情熱を失い、居心地のいい権威集団の片隅に安住していた。むろん、黒板の緻密さを見れば、たとえ付け焼刃でも『学習』は熱心につづけていることはわかった。その精力だけはまがいものではないようだった。ある意味そういう独善は、スケールこそ小さいけれども、英雄の証だ。しかし色を好むはずの彼らに色気を感じなかったのはなぜだろう。
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あの六カ月にわたる探索のあいだ、私はおめでたくも信じていたのだった。滝澤節子は絶望の苦しみを越えて、再会の希望の中に生きている、操のように保ちつづけた希望の中へ私を迎え入れるために、だれにも、私にさえも居どころを明かさないで、ひっそりとどこかの町にひそんでいる。そう思うと、滝澤節子の裏切りに対する怒りが和らいでいくような気がした。
しかし、あのアパートのドアが開いた夜のなんと残酷なことだったろう! そしていまではなんと遠いことだろう!
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「ああさっぱりした。ひと勉強終わったよ。休憩!」
振り向くと、山口がギターを提げて立っている。
「お、ストーブ買ったのか。俺も出さなくちゃ」
私は険しい表情で罵った。
「ここはきみの休憩所じゃないぞ。休憩なら自分の部屋でしろ」
山口は目を大きく見開いて、その場に立ち尽くした。彼が顔でもゆがめれば、私は言いわけをしたかもしれない。しかし山口は、悟りすましたようにこう言ったのだ。
「……そうだな、おまえの言うとおりだ。芸術家は、思索するのに忙しいからな。悪かった。もう、おまえのじゃまをしないようにするよ」
山口はひどく穏やか声で言ったが、私は彼の心の痛みをじゅうぶん感じることができた。山口は私を見つめた。視線が私を貫いた。それは怒りもなく、静かで、とても精神的だった。
―ひどいことを言ってしまった!
山口はしばらく私の言葉を待っていた。友が癇癪を起こした秘密を洩らすのを待っていた。しかし、生きていくのが面倒くさくなったなどと語り出せるはずがなかった。私は机に座った姿勢のまま、ストーブの火に目を移した。
「じゃな」
そう言って戸を閉めようとする山口に、
「ごめんね。悪気はなかったんだ」
山口はたちまち相好を崩した。事情を説明する切実な言葉が浮かんできたけれども、口に出すことはできなかった。
「気にしなくていい。何かを言ったりやったりしたら、それで一巻の終わりなんてことはないんだ。……悩みがあるんだろ? 聞かないよ。聞かされたって処置に困るだけだ。気分がよくなったら、ギターでも聴きにこい」
彼はスリッパを鳴らして去った。私はいちどきに疲れ、椅子から崩れ落ちるように畳の上に横たわった。
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たとえば、飛ばないボールと飛ばないバットの時代に、ヤンキーズスタジアムの場外に叩き出したベーブルースや、平和台球場のスコアボードにたなびく旗をかすめていくホームランを打った中西太を忘れて、飛ぶボールと飛ぶバットの現代の130メートルのホームランを讃えている輩のことです。そして、彼らを、ピッチャー等さまざまな野球技術が発達している現代にもってくれば、からきし打てないとこき下ろす輩のことです。ベーブルースや中西太の時代にも、ウォルター・ジョンソンやレフティ・グローブ等、とんでもない速球や変化球のピッチャーがいたのです。
彼らは自分の生きているいまが最高でないとさびしいのです。進歩の概念に取り付かれているので、時代に関係なく天才が輩出されることを想像できないのです。天才は時代に関係なく、時間の数直線上に生まれる高峰です。それを認めることは、懐古主義ではなく、真実の認識主義です。現代至上主義者が讃えているのは「人間」ではなく、「機械」です。それを所持する人間が、かつての天才よりもすぐれているとする錯誤です。頭が悪いのです。気にしないようにしましょう。現代がすぐれているとほざく人には、
「その機械がすぐれものなのであって、それを持っているおまえじゃないだろ」
と言ってやりましょう。
レトロに郷愁の胸をえぐられる感性は、知能よりも才能の分野に属するもので、より高度に情緒の発達した人間しか所持し得ません。芸術しかりです。文明ではなく人間に回帰する高度な情緒を有する天才によって創られた作品を超えるものはありません。時代は関係ないと承知しておいてください。いかなる時代も、すぐれているものがすぐれているだけのことなのです。
以上のことから、感情の豊かさを快とするあなたの直観は正しいのです。感情の豊かさは知識からは得られません。がんらいの知能がもたらすものです。頭がよくなければ、感情は豊かになりません。頭の悪い現代人を恨まず、時代と関係なく劣った人間を唾棄してください。そして、彼らに引け目を感じることなく、その才能を発揮しつづけて生き、死んでいってください。いかなる時代にも、真実に気づいた才能ある人間は、その浮薄な時代に生きていくのはつらかったはずです。覚悟してください。しかし、そんなあなたを強烈に愛する情操豊かな男女がかならず現れます。才能は才能にしか惹きつけられないからです。
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伊香保温泉の階段に与謝野晶子の文章が彫られていた。写し取る。
『榛名山の一角に、段また段を成して、羅馬時代の野外劇場の如く、斜めに刻み附けられた桟敷形の伊香保の街、屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、すべてが温泉宿である、そして榛(ハンノキ)の若葉の光が柔らかい緑で街全體を濡らしている。街を縦に貫く本道は雑多の店に縁どられて、長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、Hの字を無数に積み上げて、殊更に建築家と繪師とを喜ばせる』
伊香保の湯に浸かりにきたときにでも書いた随筆だろう。くだらない趣向だ。何の心も伝わってこない。
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]]>今年もめでたくこの会合に出席できたことを心から光栄に思います。幾たび出席しても緊張感はほぐれません。早稲田大学の入試が難しいことを私も往時、身をもって体験しているので、それを突破した人たちに思わず敬意を表してしまうからでしょう。
この5、6年、毎年、この教室の、この生徒たちが、自分の最後の教え子だと思って講義しているため、そこでも緊張感が蓄積されてきました。緊張に次ぐ緊張で、この晴れの席でもまた緊張が重なるといった具合です。言ってみればその緊張感が、私を今日まで引っ張ってきたと言えるでしょう。つまり、きみたちによりよい形で生かしめられてきたということです。敬意と同時に、あらためて感謝の念も捧げたいと思います。
たぶんこの一年できみたちが身につけたものは、明るい名望欲です。しかも、徒手空拳で達成できる名望欲です。この先の人生は、名望欲を遂げるには、政治か、コネか、僥倖といった武器が必要になります。大学合格は、明るく真剣な営為で達成できる最後の名誉でした。そのことを私は喜び、祝福します。真剣でズルのない努力の成果を喜び、祝福できる職業に自分がたまたまついていたという幸運に驚きます。この齢まで、真剣に、ズルをせずに生きられたというシンプルな驚きです。
この単純な驚きに浸されたまま、これ以上複雑な社会は知らないで残り少ない日々を生きていこうと思っています。今年もいまその確認をしています。毎年の節目の再確認を与えてくれてありがとう。そして合格おめでとう。この先は勝手に生きていきなさい。勝手に生きるのが基本です。わがままにという意味ではありません。不本意に生きてはならないということです。文明と文化の屋根の下で、本気で、しかもくつろいで生きていきなさい。
これが別れではありません。これからも何回も再会しましょう。
以上。
(2017.3 早大合格者撮影会(早大南門 プランタンにて)
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自然や人事に心を動かそうとする自分を恐れている。どんな虚(うろ)のような人間でも、落日に心惹かれることがあるにちがいないし、どんな薄情な人間でも、激しい復讐の話を読むか、裏路で仲のいい恋人たちに出会うかしたときには感動しないではいられないだろう。
しかし、私の目は、鮮やかな陽の光を退屈で病的な色と感じ取り、復讐を宿痾(しゅくあ)と思い、恋人たちを脳味噌のないクラゲに見立てる。熱狂はひどく人間的なものだ。どんな情熱にも獰猛さがある。愛そのものにも。けっして死に絶えることのない希望を抱きつづけ、それを崇めることは、一見、絶滅や死への狂気じみた崇拝に似ている。しかし、すべてが空しいのは、その人間が空虚だからで、いまもって真摯とは何かを知らない人間だけが、すべてを欺瞞だと思いこむのだ。空しいままでいてはいけない。空しさの底から這い出さなければならないのだ。
]]>四月に入学して、その月の末に中退届の草案をノートに書いた。それを抽斗の奥にしまい、退学の時機を先延ばしにして、五月のひと月間、週に一度の割合で大学にいった。のんびりやるかという気持ちになったのは、学費が免除されたからだった。この間に行なわれた行事は、山中湖へのバス旅行と、五月祭だけだった。五月祭の人混みの中で財布をすられた。
六月一日、私は学生課に除籍願いの用紙を受け取りに出向き、夜を徹して草案を推敲し、退学理由の欄に長い文章を書いた。
《中退届》
私たちはそれぞれ特有の嗜好を持ち、それに対して強い思慕を示す。財物、労働、学問、技能、思想、創造等、嗜好の種類はさまざまである。そうした物質的あるいは精神的な嗜好に精力を傾ける日常をたとえて、弛(たゆ)まぬ登坂そのものであると言ってさしつかえないだろう。そればかりではない。労苦を趣味として生きているのでないかぎり、その登坂に精神的苦痛が生じることがふつうである。みずからの嗜好に、できるなら社会的価値を賦与し、日々の糧を得る手段として役立てたいと願うからである。
社会的価値を有する職業に専従することと、その選良性のゆえに社会生活の場が一般から離れるという現象が重複して生じる場合も含めて、そこに至るためには、私たちは好むと好まざるとに関らず、目標の障害となる他者を押しのける行動をとらなければならない。
障害となる他者を、ある時点において、どの程度の割合で押しのけられたかを手っ取り早く確認するために、複数の登竜門が設定されている。喜ばしい価値観の達成を、段階的に肉眼に捕らえるための道しるべと言っていいだろう。危ぶむべきは、一定の登竜門をつつがなく通過し、自分の価値観に添った目標の追求を継続する資格を獲得したという段階的な勝利のみのせいで、舞い上がり、最終的な目標を忘れてしまうという愚昧である。つまり、中途段階での成功度の確認にすぎないものを過大評価し、こと足れりとして、人生を終了させてしまうという童蒙的楽観である。
登竜門をくぐるまでの道のりには、芸術美の完成といったような、個人的憧憬を追求する時間幅を区切らない努力とはちがって、見事なまでの定型の日常と、時間を設定された形どおりの苦役が準備されている。わけても、《不言実行》という古くから尊重されてきた言挙(ことあ)げの禁忌(きんき)、すなわち挫折隠蔽の思想はこれをよく象徴する。この、まめやかな怯懦とも言うべき自己抑圧は、抑圧される個人の絶対数が圧倒的多数を占める社会において、陰湿な競合意識と化す。つまり、まったき価値である競合の果実ではなく、途上の形式的苦役にすぎない競合そのものにおける挫折の有無に関心が転移し、価値の達成度の段階的な統計どりであるにすぎない登竜門通過、ひいては登竜門そのものにスポットライトが当てられるという、筋の通らない習慣の定着である。
競争社会という命名からして、作為に満ちている。社会組織そのものが細分化された競合で成り立っている以上、社会にあらためて競争という冠詞をつける意識の根底には、かならずその作為によってなんらかの利益を得る人びとの戦略がひそんでいる。言挙げの禁忌を礎にする競争のもとに、人生の最終目的をおおらかに宣言する自己解放を恥とし、健康な努力を後ろめたいものとする―そこにはまぎれもなく不健康な《成功の概念》、すなわち、登竜門の過大評価を打ち出す営利団体が介在している。目的に至る途上の石くれに躓いたにすぎない事実を凶兆とし、それまでの積極的で永続的な努力の成果を、石くれのために存在したものと錯誤させるのである。こんな躓きは何ほどのものでもない、石くれごときと侮っても、驕慢な大言壮語と断じられるのである。
ために、人は極度に緊張して、競合の途上にある自己を、石くれに躓かぬようひそかに保恵しようと努める。石くれごときに対して、謙譲をふるまい、挫折をふるまい、絶望をふるまうことさえある。つまり、「競争社会における自己抑圧の成果がいかに卑小であるか」という、正しく醒めた認識を打ち出さずに、謙譲や挫折や絶望のふるまいの陰に、途上の石くれにも意義があるのだという屁理屈を信じてみせる寛容を示す。それは寛容とは呼ばない。社会の趨勢に対する卑屈である。利益を得る人びととは、その無価値な石くれの陰で、卑屈な人びとを相手に石くれの価値を捏造する人びとである。
途上の石くれに意義を見出す人間に、すでに内奥の充実はない。なぜなら彼は、みずからの努力目標を分析し、それに邁進し、なかなか完成に近づくことのできない無能な自己を倦まず責め苛みながらも、ふたたびみたび姿勢を正して価値と信じる目標に向かい、豊かな完成を夢見るという、人間らしい徒労を看過しているからである。人びとの自己解放の結果がいかに辛苦に満ちたものであろうとも、まさしく彼らの畢生の目的に結びついている場合、彼ら個人同士の競合はこの世界を歪曲させないだろう。
ここまでは、目標を見はるかす道の上にあった石くれ、すなわち体制側の設定した登竜門の話であった。問題とすべきは、みずからの目的の途上にない登竜門を、なんらかの不純な理由でくぐろうとする場合である。一例を挙げれば、盛唐の詩人杜甫がすでに詩人としての名望を得ていながら、不如意な生活への不安から別途の社会的名望にあこがれ、官僚たらんとして一生の長きにわたって科挙試験を受けつづけたというがごときである。しかしこれは、登竜門そのものに対する憧憬からではなく、貧困を脱するための手段に登竜門通過が直結していたことを斟酌すると、さして不純とするにあたらない。
これに対比して、わが国における明治期以来の受験熱、有名校合戦などは、これといった余儀ない渇望や希求の理由が見出されず、もはや病と呼ぶにふさわしい。断続的に行事として繰り返される競争そのものに《目的》の染色が施され、しかるに、その競争を勝ち抜いても一向に本来の目標の達成は確約されないのである。だれもが抱えているはずの不安定な未来を、断続的な行事の形でわざとらしく目睫にチラつかせて、ひたすら競争を継起させるこの実態こそ、まさしく永遠の競争社会の正体であって、競争の渦中に抛りこまれた人びとのいつ終わるとも知れない自己抑圧には、おぞましくも悲惨なものがある。
さらに惨めなことに、彼らは人生における真の目的の埒外にあるいっときの成功を過大評価し、本来終わることのない自己鍛錬から逃避しようとする。無目的な成功を契機に、目先の構想に明け暮れた自己抑圧は新たな抑圧の日々を生み、ふたたび近距離の目標が設定され、次の門に至るまで、いまのところ最も大振りな登竜門通過の肩書きを振りかざしながら、自分に似た人びとの中を泳いでいく。
これを要するに、究極の目的は棚上げするか忘れ去るかすることを条件とし、一般よりも資格や肩書きの上ですぐれていればこと足れりとする無目的な社会、と定義してよいだろう。そこに競争社会の本質がある。しかく定義される社会には、もはや真の意味の栄達も立身も必要がない。言ってみれば、競争の局面でのみ秩序が保たれ、律儀な自己抑圧が遵守された上で、肉体的にも精神的にも健康な生活を獲得することに目的が設定し直されるという、じつに皮肉なジオラマを眺めることができる。
私はいま、ここに、風に揺れる葉のように、ふるえながら立っている。徒手空拳のとてつもない無力感の中で、改革の狼煙(のろし)を揚げようとも思わずに。そして、かつては自分も偏見にまみれた愚民であったことを悲しみながら、立ち去ろうと決意している。私はアラン・ブルームの言葉を思い出す。
『人間が解放の喜びを知るためには、その前に、偏見と呼べるほどの何ごとかを、まず心から信じていなければならない』
才能に基づいた自己解放的な努力が嫌忌(けんき)され、有能な個人が無意味な競争によって篩(ふる)い落とされるという教育的間引きのはびこる状況を、これに不足を覚える者たちが渾身の力で排斥しないかぎり、言挙げのタブーを好む凡庸な人びとが頼みとする競争社会は生き永らえるだろう。
不足だけを述べながら意気地なく去っていく者のかすかな希望を述べさせていただくなら、改革の芽が萌(きざ)すためには、おそらく、才能豊かな人間の魂は、一定の登竜門をくぐるほど小粒には造られていないだろう、という一大事に多くの良心が思い至ることが必要であり、いつかそれを甚だしく啓発する者が現れて革新の先頭に立つにちがいないということだ。その啓発者はまず、途上の躓き石を取り除き、道端に遊び場としての寺子屋をしつらえ、そこで好学の徒たちが開放的な心持ちで遊びを繰り返しながら目標に近づいていく社会を、悠揚然として実現するだろう。
文?一年8D 430251G 川田拓矢
]]>「川田くんの言いたいこと、わかる。その人が、顔が変わるほどの人生を送ってこなかったということでしょ」
「悪い意味じゃなくて、安らかな人生だったんだろうなって思った。秀才から転落しようと、高校を中退しようと、悲しみが顔を変えるほどの革命的な人生じゃなかったんだなって。それでも、なつかしかったんだろうね、ぼくを自分の家に連れてって、両親に会わせたんだ。親子のカスガイみたいなことやらされて困った」
「カスガイって?」
「関係回復の接着剤。守随くんは高校を中退したあと、結局、東京のバネ会社に就職したんだけど、両親がそのことをひどく残念がってね。自慢の息子が高校を中退して、小さな会社に就職したことがたまらなかったんだね。お父さんはぼくに頭を下げて、大学検定の資格をとるよう息子を説得してくれって頼んだ。こんなに大きくなった人間を、まだ小さな鋳型に嵌めたがってるんだ。でも、その頼み方には鬼気迫るものがあったから、仕方なく、頼まれたとおりに守随くんに言ったら、じゃそうする、ってケロリとした顔で言うんだ。驚いた。見るからに嘘だってわかるのに、お父さんお母さんは、畳に手をついてぼくに感謝して泣くんだよ。神さま仏さまとまで言ってね。守随くんはいまからすぐ東京の会社に辞表を出してくるって言うし、お父さんはそうしろと言う。これで息子は再生できるって、舞い上がってるんだよ。いたたまれなかった。一家の行く末が見えたからね。名古屋駅のホームまで彼を見送りにいった。彼は、東京のストリップ小屋に好きな女がいるから、会社を辞めてそこへいってアタックするって言った。大検なんかとるつもりはないってね。ぼくは応援するようなことを言った。守随くんがやっと自分の気持ちのままに生きはじめたと思ったから」
「ふうん、勉強しか取り柄のなかった人の落ち着き先が、ストリップ小屋かあ。寒くなるほどロマンチックだけど、ただの秀才の挫折ね」
「最初は挫折と思わなかった。その逆で、守随くんは挫折から立ち直れたんだと思った。へんな言い方だけど、秀才であることがもともと挫折だったんだよ。だから彼は生き返ったんだって思った。自分の心のままに、好きなように生きはじめたわけだから。同じ大秀才だった鬼頭倫子とはぜんぜんちがう、そう思った」
「でも、そうじゃなかった?」
「うん……。九月に新宿で守随くんと約束して会ったけど、なんだかおかしい、ただの腑抜けにしか見えなかった。会社はちゃんと辞めてたけど、そのあと彼はストリップ小屋にもいかなかったし、女にもアタックしなかった。好きなように生きてなかったわけだ。ストリップ小屋も、好きな女も、きっと作り話なんだと思う。ああやって一風変わった身の上話を作り出しては、不本意な自分の人生を飾ってたんだね。破天荒を気取っていても、もともとその種の人間じゃない。パチプロになりたいなんて言ってたけど、ギャンブルの世界がそんな甘いものじゃないことはだれだってわかる。……もう二度と彼には会わない」
「……あの顔に合ってる。人は顔のとおりにしか生きられないのね」
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友は、私と私の母のことを考えた。私はたしかに彼女を恐れている。しかし、どうしてか彼にはそれが臆病のせいとは感じられないのだ。私の立場にあったら、自分だって彼女に恐怖を感じるだろうということはじゅうぶん理解できた。ただ、静かすぎる。恐怖を抱きながらも敵の砲台に向かって静かに突き進んでいく姿は、自殺者特有の気質をはっきりと示すものに思われた。きっと私には先天的に、他人の障害になる人間に対して煮えたぎる怒りがあって、なぜもっとみんな命がけで彼らに対処しないのかという苛立ちがあって、彼らに対峙する唯一の方法として、恐怖とは正反対の自死をして見せようと覚悟し、身の安危も意に介さずに彼らを排除する志を抱いたのだ、たぶんひどく幼い時期に、と彼は考えたのだった。
死を見せつける相手は、たまたま母親であったにすぎない、恐怖や不安の対象がほかのものでも、たとえば友人であれ、愛人であれ、意地の悪い人間であれ、恐怖が契機になった場合はかならず、相手を殺すのではなく、自死の方向でものごとを考えるたちなのだと。しかし、そんなことで排除されるような彼らではないと気づいたときに私が倦怠に陥ったことまで、友は静かな自死と錯誤したのだった。
絶望でも諦観でもない倦怠に陥ってからの私は、自然な延命を願うようになった。いまなお煮えたぎる怒りや、生命欲を奪う恐怖が収まることはないが、その反動の自死願望もない。この倦怠に満ちた命を喜ぶ人びとがわずかにいて、彼らのために使い古しの命が役立つことを知ったからだ。
感動に身をまかせると、後悔をたたえた心の洞(ほら)や、色彩豊かな思い出の深みへしばしば連れていかれるけれども、そこでざわめいているすべてが新しい生活への希望に転化して安らかな旋律を奏でる。
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「……愛というものに徹底的にこだわりたいんだな。常人の考えじゃない。ま、あたりまえか。常人じゃないもんな」
]]>私は無力だった。大勢の中に出ていって、いろいろとめずらしい考えを聞かされると、まるきり反応できないのだった。私は彼らの大上段な言葉に刺激されながら、予想さえしなかった言葉の海にただよっているうちに、とつぜん、自分がほんとうに求めてきた自由は、ただ〈ひとりきり〉だったということに、彼らは不気味なやり方で私をもとの〈ひとりきり〉に戻したことに、その彼らはもう私には何の関係もないことに、いや私自身がむかしから彼らに何の関係もなかったことに思い当たった。それはもともと求める必要などない自由だった。私は最初からひとりきりだったのだ。
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生きいきとして、眼を越えた勢いのある視点から命を見つめること。
]]>骸を見ると、無言の意思がまだ骸の中に生き残っているように思える。
]]>私は彼らに心が惹かれるのを感じることがあった。彼らには美点があった。善良さ―何の作為もない素朴な善良さだった。同時に彼らの退屈さにも惹かれていた。生計と、蓄財と、子育てと、近所の行事以外に関心のない彼らも、食卓を囲むたびに人生訓を吐いて面目を施している家長も、世の中のことと勉強のことしか言わない長男の秀才も退屈だった。しかし、私のその日暮らしに比べると、この麻薬のような退屈さはとてつもない魅力だった。このまま彼らの中に埋もれてもいいとさえ思った。日常に抱きしめられる感覚。大勢の人の人生を踏襲する幸福に身をゆだねるということは、たしかにある意味で倫理への敗北かもしれない。でもそれは、こと芸術作品でないかぎり、多くの勝利よりもはるかによい敗北なのだ。
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