3月11日水曜日、午後1時から、大隈講堂前で恒例の合格記念撮影が行われた。やってきた講師は小貝さんと私、写真係は本部の清水さん、進行役は同じく河野さん。今年は大隈候前では撮影しなかった。意図的なものではなく、忘れてしまったのだ。30人近い学生が、輝かしい王冠を戴く大隈講堂を背に、思い思いのポーズでめでたい写真を撮っていく。まず個人で、それから校舎グループで、あるいは意中の講師と並んで、最後に全校舎集合でと。常に大隈講堂が背景になった。風のない曇空だが、写真は明るく写るだろう。
 政治経済学部に進む渡辺裕樹・出口廣元・中村駿・平原結・伊藤健人・早川竜太郎、商学部に進む玉井俊哉・棚町真也・兼俊睦・高野誠二・安崎純、教育学部に進む高野祐真・五龍神田将太・久保彰暢・千葉太一・伊藤深雪・大野優衣、社会科学部に進む藤村昌代・蒲原沙織・阿部一葉・新為喜詠・白土千敬、文化構想学部に進む八谷絵美理……その他にも文学部やスポ科に進む学生たちもいたが、手帳に記しそこねた。撮影に参加しない合格生も含めると、たぶんこの二倍の人数に膨れ上がるだろう。みんな一人の例外もなく、懸命に勉強した学生たちだ。ほんとうにきみたちはよくやった! 彼らに並んで「さあ、作り笑い!」などとおどけながら、私は感無量の思いでいる。無論、作り笑いなどしない。
 記念撮影を終えた後は、これまた恒例の『ぷらんたん』での懇話会となった。早稲田を目指したけれども、残念ながら敗れて横浜国大に進学することになった齋藤良信くん(敗れて横国というのもたいしたものなので、私が是非参加するように呼んでいた)を皮切りに、初々しいスピーチが始まった。あまりにも恥ずかしがりの子供たちが、15秒ほどの自己紹介で次々にバトンを渡していく。あっけない。彼らは目立とうとしないのだ。講師や職員が黒子に徹しようとしても、彼らが黒子になろうとする。したがって小貝さんや私や清水さんが長いスピーチをすることになった。トップエリートの将来をほぼ約束された彼らは、OBの話を神妙な顔をして聴いている。おそらく現代子の彼らには参考にならない話だ。しかし胸の底から湧き上がってくる喜びが、そのレトロ性を好意的に押し包んでしまうようだ。
 私は言葉の貴重さについて話をしたが、それは言葉が明るい思考を運んでくると常々考えているからだった。言葉を失うと、未来がひどく暗いものに思われ、そこに知性の眼差しを向けるのが恐ろしくなり、頭の活動をやめてしまい、未来なんかありはしないし過去だってありはしなかったんだと自分に信じこませようと努める時間が多くなる。ものごとを思考で判断しようとせずに、生活の唯一のバネとして気分と本能だけが残るような、そんな時間、ほとんど放心状態に近い一時的な思考の欠如に支配されて、絶望のいちばん端に立って、もしこのホームから飛びこんだらどうなるだろうと考えてみたり、あるいはまた、社会全体が卑屈なほど尊敬しているようなある偉い人物を眺めながら、あいつを刺し殺したらどうなるだろうと考えたりすることに、一種の快感を見出すのだ。挫折に満たされた青春の日々に、できるだけたくさんの言葉を蓄え、常に知的に思考していさえすれば、そういう危険は回避できる。
 私はそんなことを心の底で願って話をしながら、もう一方では、今年不運にも挫折した学生たちの顔を一人一人思い浮かべ、新年度も彼らを教えることができるかどうかを危惧していた。他の予備校に頼ったり独学に沈淪したりせずに、もう一度早予にやってきてくれるだろうか、そして来年こそこの席で抱負を述べる側になってくれるだろうか、と危惧していた。たぶん彼らは早予に戻ってくるだろう。なぜなら、それが早予の奇妙な伝統だから。戻ってきさえすれば、彼らは少なくとも私の真剣な言葉に包まれる。そのために私はいつも言葉を蓄えている。
この記念撮影会が始まってからかなり経つ。個人情報保護全盛の時代、最初のころは撮影そのものに生徒がきてくれるかどうかオッカナビックリの面もあったが、年ごとに参加者も増え、ついに恒例として定着した。そしていつのまにか、ひたすらこの日の自分の晴れ姿を予備校の新年度生徒募集パンフレットに載せたいという願いから、一年間懸命に勉強する学生が増えはじめた。もちろんそのことが信じがたいほどの合格率に結びつくようになった(そのことばかりが原因ではないことはよく承知している。まるでスポーツのように猛勉を強いる早稲田予備校で、彼ら自身が日々励んできた知識の蓄積が最たる原因だろう)。昨年度は早大受験者中88%が合格して、早大高等学院を抜き全国一位となり、われわれ当事者たちを驚かせた。おそらくこの事実は予備校側幹部しか知らないことだろうし、母体が小さいことから他の教育集団も注目していない。この隠れたエリート予備校は過剰宣伝を打たないので、学生本人も父兄も(講師スタッフのほとんども)たぶん知らないし、知ればびっくりするだろう。私はよほどメッセンジャーになって、早予のことを褒め上げたいのだが、マイナーという殻に閉じこもって主要な講師連も事務側も喧伝したがらないので止めておく。勝ち犬なのに、無名のゆえに遠吠えをしているように見られる悲しい図だ。自慢すれば揶揄され、冷笑される。しかしそんなことはどうでもいい。それこそ私たちの隠れたプライドだからだ。 
 いずれにせよ、単なる募集パンフ作成の基礎的試みが、学生たちの向学心に意外な好影響を与えたことになる。それを知ってますます、予備校側の撮影にも力が入るようになった。今年も同じ感慨が胸をよぎる。―あと何年、この喜びの日を迎えることができるだろう。あと何年、学生たちの笑顔を目に焼き付ける幸運に出会えるだろう。やくざな仕事と思って踏み込んだ臨時バイトが、二十年の腐れ縁になり、生き甲斐をもたらす天職となった。もう死ぬまで、足抜きはできない。そしてだれに諌められようとも、足を抜くつもりもない。

 私は早くも十五歳にして年の離れた恋人に棄てられ、その尻を母に勝手にぬぐわれ、流謫の境涯を経験した。それ以降、母は私の教育の一切を他人と私の自発に任せた。十八歳のときには、海外流謫という尻拭いのダメ押しがあって、すっかり呆れられ、見捨てられた。しかしそのおかげで、彼女の生涯にわたる出費は極小ですみ、着々と蓄財の人生を歩んだ果てに快適な老後を迎えることができた。彼女の息子たる私は、ある時期プロスポーツ選手の匂いをかいだが、それを大成できなかった。ある時期法律家の匂いをかいだが、それを大成させることはできなかった。ある時期ギャンブラーの匂いをかいだが、それを大成させることはできなかった。さまざまな紆余曲折を経て、年不相応の赤貧に至った私には、もう何も残っていない。おそらく巷間に利する学問も才も多少あったにちがいないが、すべて用いられなかった。あらゆることがグレハマになり、あらゆる計画が見事に食いちがった。自分で築き上げたすべてのものが、自分の上に崩れ落ちてきた。金づちを振り下ろせば指を打ち、女を愛せばそれを自分史ドラマの思い出として持ち逃げされる、etc,etc,何かの幸運の予感に、不幸の津波が襲いかかる……。
 そういうところから私の快活が由来したのである。明るい人だと言われる。それもそのはず、異変が起こることがあらかじめわかっているので、驚くことはまれで、行き詰まったときでも平気に構えているし、運命の意地悪さにも笑いながら、まるで冗談を聞いているように振舞うことができる。私は不幸を身に備えた快活な男である。私の十八番は、何ごとにも成功しないことだ。だから何ごとも笑ってすますことができる。上機嫌のポケットはいつも無尽蔵だ。すぐに幸運は干上がって災いに転じてしまうが、上機嫌のポケットは無尽蔵なのだ。窮境が恐い顔をしてやってきても、私はその古馴染みに親しく会釈する。災厄を親しく遇してやる。不運とよく馴染み、その綽名を呼びかけてやる。
「こんなふうデシテネ(destiny)、いらっしゃい」
 一つの熱狂にまったく捉えられてしまっている頭脳は、実生活の事情に通じることがきわめて遅いものだ。自分の運命が自分に遠いのである。そういう頭脳の緊張からは一種の受動性が生じる。そしてそれに知性が加わると哲学に似通ってくる。衰え、淪落し、流れ歩き、倒れさえしても、自分ではそれにほとんど気づかない。ついに目覚めることもあるけれども、だとしてもずっとのちのことである。私は常に、幸と不幸との賭け事の中で、局外者のように平気でいたのだった。
 これらのことがすべて、のちに文学というイエロー・ブリックロードの同伴者になった。何もかもが、天の配剤であったように思われる。しかも、快活で恬淡としていなければ、その配剤を快く、丹念に調合する根気はつづかない。運命の迫害がいつのまにか、私を言葉の発明家にしていたのだった。そう気づいたとき、私はブリックロードを急がず進むことができた。釣り人のように悠長に、かつ真面目に文学にいそしむことができた。せっせと天の配剤を調合するその精勤の姿を何人かの人びとに見初められ、ちぐはぐで不様な人生記録に愛を注がれるという幸運も得た。偏執、気弱さ、快活さ、すべてそれら個々のものはうまく同居して、そこから愉快な奇人が出来上がり、奇人に共感する人びとにその存在をご馳走として愛されるようになったのである。佳き哉!

 いまは亡き祖父母は、かつて意地悪だったことがなかった。二人とも、ただ新聞を読み、草花の名を覚えているきりの、なんら教養を備えていない、一点知力の汚点(しみ)もない完全な白紙だった。彼らは、現在の私のようにその白紙に近づきたいがために、あえて自分の眼に闇を着せて哲学としての無知と淳朴をわが身に強いるような物好きではなく、完全な白紙だった。
 孫である私は彼らに無性にかわいがられた。自分の子供を愛さない親は世にないでもないが、自分の孫を大事にしない祖父母は世に決してない。老人というものは、若者が太陽を必要とするように、愛情を必要とする。出稼ぎに出ている長女から預けられた孫は、彼らの孤独に満ちた善意の生活における慰謝だったはずである。
 彼らはよく互いに罵り合ったが、年ごとに角が取れてきて、時とともに温和になっていった。彼らの内には言い知れない哀愁がこもっていて、自らもその理由を知らなかった。彼らの静かな様子には、まだ始まらないうちにすでに終わってしまった生涯が持つ茫然自失の趣があった。私はそれに惹きつけられた。
 意地悪でないというのはひとつの相対的な善良さであり、弱さである。善良な者同士憎み合ったり和解し合ったりするための寄る辺がなければ、生きていけるものではない。二人の弱い者が世間に善意を期待せず、子供たちにすらそれを期待せず、互いに寄りかかって暮らしているさまは、常に私の心を打った。彼らは、孫である私にも、生存以外の何ものも期待しなかった。
 私は彼らを涙なしで思い出すことはできない。


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     ・・・・・・・・・・
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