世間に顕著な迷信は、人間には《個性》があるというものである。しかし、人間は超人的な固有の特質を持って隔たった孤島のように峻険に点在などしていない。ただ私たちはある人間について、人間という理解できる範囲内で、あいつは善人だとか悪人だとか、頭がいいとか悪いとか、精力的だとか無気力だとか、美しいとか醜いとか言って、ぼんやりと区別しているだけのことだ。
 人間というのはみな流れる川のようなもので、どんな川もあらゆる運動形態や静止形態の萌芽を秘めた水であることに変わりはなく、ある川は細くて流れが速かったり、またある川は広く滔々と静かに流れていたり、またある川は濁って逆巻いたり、暖かく澱んでいたりするのにすぎない。どんな人も環境によって運動の形態をちがって見せるので、しばしばまったく別人のように見えるけれども、実際には、人間という共通した性質のゆえに、いつでも融合できる同一分子なのである。
 唯一、個性人として孤独に屹立している人間がいるとすれば、それは融合(伝達)を拒絶した狂気の世界の人間であろう。彼は融合を目指さない、あるいは融合の精神作用から病的に切り離された《個別》の性質を有しているからである。

 私はあの時代、学生運動家の友たちに対して冷淡だった。1970年代、私をせっせと学習会に勧誘する友は三人ほどいた。私には彼らが惨めな人びとに映った。彼らは私が『ミンセイ』や『カクマル』や『シャセイドウ』や『ブント』の動きに関心を持ち、その秘密を知りたがっているにちがいないと確信している様子で話をしていた。ところが、私はちっともそんなことに関心はなく、彼らの薄汚れた首筋や長髪を眺めながら、なぜこの男たちはこんなことをやったり、人に話したりするのだろうと、内心怪しんでいたにすぎない。
 彼らが惨めに思えたのは、何よりもまず、その頭の中に渦巻いている明らかな思想的惑乱のせいだった。彼らの言葉は脈絡がなく、意味不明だった。彼らはどうやらその運動のためには一命を投げ出す英雄を気取っているようだったが、そのくせ自分の運動の本質についても、それが成功したあかつきについても、はっきりしたイメージは持っていないようだった。彼らは自分でも自分のやっていることの意味を把握できなかったのである。
 私はいま、あのころの冷淡さを悔いている。私は意味を探って怪しむことをせずに、ただうなずくべきだった。人の行為に意味が付与されるには、どうにか意味をこじつけてくれる長い歴史的な分析を待たなければならない。人は意味不明の思想的惑乱の現瞬にしか生きられない。いま私がペンを持って、人びとと無差別に交信しようとしている惑乱ともいうべき行動は、まぎれもなくあのころの彼らのそれである。一つだけ私が彼らとちがう点といえば、思想と論理と未来世界への希望を共有して鼓舞し合う仲間がいないことだけである。

 三年前に行なわれた法学部同窓会の二次会で、旧友という言葉を口に出して私の肩を抱いたある政治家に対して、私は心の中で『バカやろう!』と叫んでいた。社会階層的に《偉く》なった彼は、私のような徽章のない社会階層の人間に対しては、ひたすら黙殺で臨めばよかったのである。
「旧友、旧友、なつかしいなあ。何か本を書いてるんだって? きみが頭の回転のいい優れものだということは、学生のころから注目してたよ」
 私が我慢し切れなかったのは、彼が私の肩を馴れ馴れしく抱いたことではなく、旧友という歯の浮くような一語の中に、人格的におおらかなところを見せて、私の階層まで自分を卑下してみせていると感じたからだった。つまり彼は私を『負け犬』と思っているのだった。彼は人間としての階層的にこの上なく汚らわしい恥ずべき職務を遂行しているくせに、人としても何か偉い位階に昇ったかのように自惚れているばかりでなく、私の旧友だと名乗ることによって、自分の社会階層のおこぼれに預からせてやる寛大さを押しつけるとまでは言わないまでも、その寛大さを誇りとしていないことを見せつけようとしているのを直感したからだった。私が相手でなければその政治家らしい『取込み兵法』は成功したかもしれない。しかし私のような、すべての社会階層というものに価値を置いていない人間にとって、それどころか逆に、何らかの特定の社会階層で自分を格付けする徒輩を『負け犬』と規定している私のような人間にとって、それは下衆の、見え透いた、バカやろうな心の動きだった。


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