文学においても、音楽においても、古今の大家の作品はほとんど顧みられないで、末流作者の痴呆的作品のほうがかえって一般の思考に投じ、現人神のごとく隆盛を極めるにいたったのはどういうわけだろうか。なぜ現代の日本人は、真の天才(この言葉を青臭い表現と思う人間は真の天才に反感を抱いている人間か、真の天才の存在を疑う人間か、真の天才を判断できない人間である)の芸術よりも、かくも馬鹿馬鹿しいあくどい二流作品のほうを歓迎するのだろうか。私にはわからない。一般という意味も含めて、若いころから考えつづけ、中年に至って考えあぐね、老境の日々にとことん疲労してしまった。
 ただ、その懐疑という名の疲労は、つねに、私の溌剌とした創作意欲に結びついてきたし、創作以外の生活態度までも決定した。一般への饗応は粗悪で廉価なものでなくてはならないという、ある種社会学的結論の真偽がどうであれ、自分だけは質の高い高価なものを創ろうと、疲労の床で覚悟できたからである。疲労するほどの悩みに沈潜しないかぎり、新しい一日に再生する精力は得られないというのが、疲労しやすい私が人生の途上で醗酵させた哲理だった。そしてその精力から生まれた作品を、垂涎の饗応物として享受する人間は必ずこの世のどこかに存在しており、そしてその享受が一般化する時は必ずめぐってくるというのが、私の生きてゆく灯火なのである。

 世間に顕著な迷信は、人間には《個性》があるというものである。しかし、人間は超人的な固有の特質を持って隔たった孤島のように峻険に点在などしていない。ただ私たちはある人間について、人間という理解できる範囲内で、あいつは善人だとか悪人だとか、頭がいいとか悪いとか、精力的だとか無気力だとか、美しいとか醜いとか言って、ぼんやりと区別しているだけのことだ。
 人間というのはみな流れる川のようなもので、どんな川もあらゆる運動形態や静止形態の萌芽を秘めた水であることに変わりはなく、ある川は細くて流れが速かったり、またある川は広く滔々と静かに流れていたり、またある川は濁って逆巻いたり、暖かく澱んでいたりするのにすぎない。どんな人も環境によって運動の形態をちがって見せるので、しばしばまったく別人のように見えるけれども、実際には、人間という共通した性質のゆえに、いつでも融合できる同一分子なのである。
 唯一、個性人として孤独に屹立している人間がいるとすれば、それは融合(伝達)を拒絶した狂気の世界の人間であろう。彼は融合を目指さない、あるいは融合の精神作用から病的に切り離された《個別》の性質を有しているからである。

 私はあの時代、学生運動家の友たちに対して冷淡だった。1970年代、私をせっせと学習会に勧誘する友は三人ほどいた。私には彼らが惨めな人びとに映った。彼らは私が『ミンセイ』や『カクマル』や『シャセイドウ』や『ブント』の動きに関心を持ち、その秘密を知りたがっているにちがいないと確信している様子で話をしていた。ところが、私はちっともそんなことに関心はなく、彼らの薄汚れた首筋や長髪を眺めながら、なぜこの男たちはこんなことをやったり、人に話したりするのだろうと、内心怪しんでいたにすぎない。
 彼らが惨めに思えたのは、何よりもまず、その頭の中に渦巻いている明らかな思想的惑乱のせいだった。彼らの言葉は脈絡がなく、意味不明だった。彼らはどうやらその運動のためには一命を投げ出す英雄を気取っているようだったが、そのくせ自分の運動の本質についても、それが成功したあかつきについても、はっきりしたイメージは持っていないようだった。彼らは自分でも自分のやっていることの意味を把握できなかったのである。
 私はいま、あのころの冷淡さを悔いている。私は意味を探って怪しむことをせずに、ただうなずくべきだった。人の行為に意味が付与されるには、どうにか意味をこじつけてくれる長い歴史的な分析を待たなければならない。人は意味不明の思想的惑乱の現瞬にしか生きられない。いま私がペンを持って、人びとと無差別に交信しようとしている惑乱ともいうべき行動は、まぎれもなくあのころの彼らのそれである。一つだけ私が彼らとちがう点といえば、思想と論理と未来世界への希望を共有して鼓舞し合う仲間がいないことだけである。


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